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「中村俊輔」のルーツを探る。どんな家に育ち、どんな環境でボールを蹴っていたのか。横浜の住宅街から世界への道のり

posted2026/03/30 11:00

 
「中村俊輔」のルーツを探る。どんな家に育ち、どんな環境でボールを蹴っていたのか。横浜の住宅街から世界への道のり<Number Web> photograph by Wataru Sato

幼少期の中村俊輔(写真左・本人提供)

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

PROFILE

photograph by

Wataru Sato

 長年、日本代表の10番を背負って戦った中村俊輔にとって、「すまい」とは何か。

 高校時代まで過ごした実家での日々が原点にあり、プロになってからは寮生活となり、それを卒業してからはフットボーラーとして成長を遂げるとともに「自分の基地」にこだわりを持っていく。イタリア、スコットランド、スペインでもプレーし、結婚して家族ができると、家を「家族の基地」として捉えるようになる。

 一流のアスリートはどのような空間で育ち、どのようなすまいで育まれていくのか。すまいにまつわるストーリーについて中村が語る――三井でみつけてオリジナルインタビュー。

「空き地に行くと大体、誰かがいる」横浜の住宅街で育んだ才能

 幼少期を過ごした住環境が中村俊輔という希代のファンタジスタを育んだベースにある。

 3人の兄がいる4兄弟の末っ子。横浜市戸塚区の住宅街に育ち、幼稚園の年中からサッカーを始めた。活発で運動神経も良くて。一軒家の実家付近が、中村少年の遊び場であった。

「道路を挟んだ実家の対面が空き地。そこに行くと大体、誰かがいるんだよね。カラーボールとカラーバットで野球をやったし、サッカーもやった。カラーコーンなんて当時はないから、バッグを置いてゴールにして。めんこ遊びやコマ遊びもやったよ。たとえ自分の友達がいなくても、3人の兄の友達もいるわけだから誰かとは遊べる環境。もしいなかったら近くの公園に自転車で行けばいい。年齢も関係なかったし、他の小学校の子たちも来てサッカーやったりしていたから、どんどん友達が増えていった感じだった」

 伸び伸びと、すくすくと。

 幼稚園から小学校を卒業するまで所属する横浜深園サッカークラブでサッカーに夢中になりつつ、練習以外は空き地か公園にいるのが常だった。2階建ての自宅は1階に6人家族が集える大きな広間があり、4人兄弟の部屋は2階にあった。6畳2間の仕切りが取られ、2段ベッドが2つ置かれた。家でも兄弟によるサッカーと野球が繰り広げられ、1階から「静かにしなさい!」との母親のカミナリが落ちたという。一旦、静かになるが、再び遊び盛りの少年たちが騒ぎ始める。昭和のよくある光景が、中村家にもあったわけだ。

 兄弟で奪い合いになっていたのが2階にあるソファ。ここでゲームをしたり、漫画を読んだり。早い者勝ちだっただけに、空いていればラッキーだった。

「お互いが何をやっているのか分かる」仕切りひとつの兄弟の部屋

 兄弟が大きくなるにつれ、アコーディオンカーテンによる簡易的な仕切りができてそれぞれ一人部屋になった。隣から兄の声や音は容赦なく聞こえてくるが、「逆にそれが良かった」と彼は語る。

「確か自分が中学になったくらいかな。兄弟みんな大人になっていく過程だから、お互いにあんまり喋らなくなってくる。でも兄貴たちがどんな生活をしているか感じることはできた。たとえば2番目の兄貴は高校で野球をやっていたけど、夜遅く帰ってきて野球のバッグをドサッと置いてユニフォームとか洗濯物を出す音とかも聞こえてくる。部活大変そうだなとか何となく分かる。お互いが何をやっているのか分かるっていうのは結構大事だなって今振り返っても思う」

 中村は中学生になると横浜マリノスの育成組織であるジュニアユースに入り、その才を伸ばしていく。兄弟の頑張りにも影響を受けたところはあったのかもしれない。中学時代は体が大きくならず、ユースに昇格できなかった。自分のベッドで初めて泣いた。きっとその声は誰かに伝わっていたに違いない。それでも立ち止まったのは一瞬だった。

「(ジュニアユースでの活動が終わっていたから)空き地でずっと練習していた。子供のころによくやっていた壁当てとか、初心に戻るみたいな感じで。中3なりにいろんなことを考えて、行動して、こうやればこう伸びるみたいなものが出来上がった。努力の質を上げていく自分の自主練習というものを、ここで覚えた気がする」

 サッカーの新鋭校だった桐光学園高校に進学。朝7時から誰もいないグラウンドで練習し、夕方からの全体練習後の居残りも監督が照明を消すまでやる“サッカー漬け”のなか、誰にも邪魔されない自分の部屋が唯一リラックスできる場であった。

「マラドーナのポスターを貼ったが、すぐに剥がした」

「ほぼ寝るだけではあったけど(笑)。部屋のこだわりといったら、整理整頓してキレイにすること。買ってきたマンガ本とかCDとか、あとスパイクとか。きっちり並べておくと気持ちがいい。それは誰かに言われたんじゃなくて、自然とやっていたかな。中学、高校時代は服とか何だとかの物欲もなかったし、(部屋も)シンプルで良かった。

 中学のときに一度、兄貴たちもやっていたから自分も部屋の天井にポスターを貼ろうとした。サッカー専門誌に付いていた(ディエゴ・)マラドーナの写真を。でも貼ってみたら、何かキレイな空間じゃなくなるなと思ってすぐに剥がしたんだよね。余計っていうほどではないけど、落ち着ける空間であることを自分のなかで一番、大事にしていたんじゃないかと思う」

 高3の秋にはU-19日本代表として高校生でただ一人、AFCユース選手権に出場するなど、一躍注目を集める存在となる。全国高校選手権に2、3年時に出場。10番を背負った1996年度の第75回大会は準優勝に終わったものの、ひと際大きな注目を集めた。

 卒業後の1997年、マリノス入りを果たす。ユースに上がれなかった男が、念願のトップチームの一員になったのだ。

サッカーのビデオばかり観ていた若手寮での日々

 高校まで暮らした実家を離れ、新子安にある若手寮に居を移す。6畳1間の小さな部屋で、中村が憧れたレジェンドの木村和司が使った出世部屋とも言える1室でもある。

「寮の近くに家具の店があったので、ベッドやカーテンなどを全部買いそろえたのはワクワクした。実家のときはベッドも兄貴のお下がりだったし、自分で選ぶこともなかったから。自分だけの空間をつくれて、充実した生活をしながらエネルギーをためて、レベルの高いチームで練習ができる。メンバーのほとんどが日本代表クラスで練習の雰囲気もピリついていたからね。疲れたり、悩んだり、ストレスを抱えたりしても、部屋に戻ったときにホッとできる。部屋ではサッカーのビデオばかり観ていた。ブラジルの黄金カルテットやマラドーナ、イタリアのサッカーとか。部屋でもずっとサッカーのことばかり」

 食事は寮で用意され、サッカーだけに集中する日々。1997年5月3日にはホームの三ツ沢公園球技場で行なわれたベルマーレ平塚戦で、後半から途中出場してJ初ゴールとなる直接FKを決めた。1年目ながらトップで自分の地位を築いていった。

 当時はトップとサテライトにチーム編成が分かれており、若手寮にいるほとんどがサテライトに所属していた。そのためほかの選手との距離感はとても難しかったという。

「みんな競争相手になるから、気軽に誰かの部屋を訪れるわけにもいかない。困ったのが1年目はまだ車を持っていないから獅子ヶ谷の練習場まで行く手立てがなかったこと。車を持っている周りの先輩に頼むわけにもいかない。だからタクシーを使ったり、自転車を使ったりして往復していた。でも大変だとは思わなかったね。むしろ充実していた思い出しかない。

 試合では監督の(ハビエル・)アスカルゴルタや先輩たちに、ああしろ、こうしろって言われたことがない。ここに(ボールを)出せよ、とか、ミスするんじゃねえよって言う人もいなかった。逆にどんどん好きなことやって、どんどん失敗しろって。井原(正巳)さん、(川口)能活さん……先輩方の姿勢を見て本当に多くのことを学ばせてもらった」

 高校時代と同じように朝早くから練習場に入り、全体練習が終わったグラウンドに最後まで残ってボールを蹴り続けた。寮で食事を取り、自分の部屋に戻ったらサッカーの映像を見まくった。

部屋は「自分の基地」。こだわりは広さよりも天井の高さ

 プロ2年目の1998年シーズンを終え、ついに退寮することになる。練習場が東戸塚に移ると、その近くにマンションを借りたのが真の独り立ちのスタート。A代表デビューを果たした2000年にはJリーグMVPを獲得し、2002年夏にセリエAのレッジーナに移籍するまで3つのマンションを渡り歩いている。

「評価してもらって年俸が上がることで、サッカー以外のところも充実させたくなる。充電できる自分の基地があるから、よりサッカーに意識を向けていくことができた。家選びでこだわりがあるとしたら、部屋の広さよりも天井の高さ。コンパクトな広さで、高さがある部屋だと包まれているような安心感があって、心からリラックスできた」

 練習後のケアも、風呂の交代浴もクラブハウスで行なうため、自宅は「落ち着ける空間」であればそれでよかった。サッカーに必要なものさえあればよく、自宅のなかはシンプルに。実家で過ごした部屋のコンセプトとベースは同じだった。

 悪い流れを変えたいとの思いから、転居に至ったこともあった。2001年シーズンはチームが残留争いに巻き込まれ、中村自身もなかなか調子が上がっていかなかったという。

「別に家のせいにするつもりなんて全然ないんだけど、敢えて住むところを変えてリフレッシュしてみた。それくらいちょっと気持ちで沈んでいたから。スパンと変えてみたら、上向いていく気がした」

 それほど中村にとってサッカーとすまいは密接にリンクしている大切なものであった。イタリアに渡っても、「自分の基地」となるすまい選びを何よりも重要視した。

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【撮影地:ファインコート青葉台シンフォニーヒルズ】

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