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「泣いてるの?」楽天2位指名ピッチャーが恩師に電話、“悔し涙”も…仙台育英、ドラフト“緊迫の現場”で見た「西武3位指名、須江監督がホッとした瞬間」
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中村計Kei Nakamura
photograph byKei Nakamura
posted2025/12/10 11:05
10月23日、仙台育英高校。ドラフト会議のテレビ中継を見つめる須江航監督。プロ野球志望届を提出していた3年生の高田庵冬(左)と吉川陽大(中央)
引っ張りを意識すると体がどんどん開いていき、バットにボールがまったく当たらなくなる高田の悪癖を見抜いた上でのアドバイスだった。長打をねらうのはいいが、あくまでセンター方向だよ、と。その意識を徹底できれば、配球を読む等、打者として必要な能力はあとから自然と備わってくると考えていた。
高田本人にも確認したのだが、本当にそれしか言われたことがないのだという。甲子園で左中間に放り込んだときも、国スポでレフト頭上にライナー性の強烈な当たりを放ったときも、やはり同じことを言われたそうだ。「バックスクリーンだよ」と。
高田は高校通算で32本塁打を放っている。そこまで特筆すべき数字ではないようにも思えるが須江は、こう主張した。
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「うちのグラウンドは両翼100(メートル)、センターは125(メートル)もある。しかも通常、風向きは逆風なんです。にもかかわらず、高田はうちのバックスクリーンを超えましたから。おそらく育英のグラウンドがホームでなかったら、この倍の本数は打っていたと思いますよ」
同校のOBでもある中日の上林誠知はソフトバンク時代、2018年に自己最多となる22本塁打をマークしているが、その上林の高校時代の本塁打数は23本どまりだった。その数字からも仙台育英のグラウンドの柵越えがいかに難しいかがうかがえる。
ちなみに高田の通算32本塁打のうち、バックスクリーンに放り込んだ当たりは3、4本だったそうだ。
「プロ志望届は出さないつもりだった」
高田がプロ志望届の提出を決めたのは、今年の3月だった。高田には早い段階で複数の有名大学から声がかかっていた。決断を長引かせると、最終的に行かなかったチームにそれだけ迷惑をかけることになる。そのため3年生に進級する前に結論を出した。
高田は最初は大学進学を考えていたのだという。しかし須江と何度も面談を重ねるうちにプロ志望へと気持ちが傾いていった。
「大学へ行ったからといって、必ずプロになれるとは限らない。ドラフトにかかるチャンス、タイミングというのはなかなかないよ、という話をしてもらって、最後は自分も覚悟を決めました」
須江は高田の背中を押した理由をこう語る。
「彼には夢しかないんで。たとえば、ホームラン王になるとか、メジャーリーガーになるとかって夢が、いやいやいや、そこまでは、とはならない。その夢をかなえるだけのベースはあるので。本人の気持ちさえ固まれば、その夢を買わない理由はなかった。春から夏の段階で爆発的な成長を見せて、ドラフト上位候補になる可能性もあると思っていましたし。エントリーするだけの資格は十分じゃないですか」
「泣いてるの?」楽天2位指名ピッチャーの電話
夕方5時前に始まったドラフト会議中、部員らがもっとも沸いたのはDeNAとソフトバンクの第1巡目で佐々木麟太郎の名前が読み上げられたときだった。東北エリアのライバルのうちの1校、花巻東出身の選手であるということもあるのだろう、「おおおおおーっ!」という驚きとも歓声ともつかない大きな声が上がった。


