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阪神の消えた天才“じつは身体に異変あった”プロ1年目…5000球投げた「左ヒジがチクチク…違和感あった」田村勤が明かす激動半生
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岡野誠Makoto Okano
photograph bySankei Shimbun
posted2025/10/31 11:01
阪神時代の田村勤。1990年代初頭、抑えの切り札としてチームを支えた
「自信はありましたよ。でも、前の年の終盤から、左ヒジがチクチクしていたんです。この違和感が何を意味するのか、よくわからなかった。開幕の時も同じ状態が続いていて、徐々に痛みに変わっていきました」
周囲は、全く異変に気付かなかった。それほど、田村のボールには凄みがあった。
監督も絶賛「田村と心中よ」
開幕2試合目のヤクルト戦(神宮)で、同点の9回から登板して勝利投手になると、4月は1勝5セーブと全て救援に成功。前年まで潜在能力を発揮できなかった中込伸、湯舟敏郎、仲田幸司、猪俣隆という先発陣に白星をつけた。絶対的守護神・田村の誕生で、阪神は4月を12勝9敗で乗り切る。3年目に進退をかける中村監督は、こう称賛していた。
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〈ヤツで負けたら、だれもが納得する。こうなれば田村と心中よ〉(1992年4月15日付/デイリースポーツ大阪)
“失敗しない男”はどんな時も冷静だった。5月21日の巨人戦(東京ドーム)、完封目前の中込の後を受けてマウンドに立ち、2死三塁から駒田徳広をサードゴロに打ち取った。試合終了と思われた瞬間、ベテラン・古屋英夫が一塁へ悪送球。まさかの同点に追いつかれた。
「マウンドに上がる前、いつも不測の事態を想定していました。審判のジャッジミスもあれば、ポテンヒットもある。イレギュラーも起こるし、フィルダースチョイスやエラーだってある。だから、平常心のまま、次に向かえました。『こんなはずじゃない』と考えた時点で、後手を踏んでしまいますからね」
冷静さを保てる要因は、他にもあった。5月27日、本拠地での大洋戦は雨に見舞われていた。俯きながら、プレートの土を鳴らす田村の顔には、微笑と苦笑が入り混じる。脳裏に、野球を教わったひとりの天才の言葉が蘇っていた。
あの永久追放投手との交流
「雨の日、グラウンドがぬかるんでいたら、少し前から投げてもわからんぞ」
小川健太郎――。王貞治に背面投法を試み、タイミングを狂わせた中日の沢村賞受賞者は70年、オートレース八百長に関与したとして、球界から永久追放を受けていた。
〈つづく〉


