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2度目の舌禍騒動、そして“かつお節営業”で胃潰瘍に…元近鉄・加藤哲郎(58)が語る“麻雀講師の今”「思ったことをしゃべるのがアダに」
posted2022/05/07 11:07
text by
岡野誠Makoto Okano
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1989年の日本シリーズで「巨人はロッテより弱い」という発言を報じられた近鉄バファローズの加藤哲郎は現役引退後、壮絶な道を歩んでいた。
2度目の舌禍騒動、営業職でストレス性の胃潰瘍発症、健康麻雀の講師、因縁の相手の親子断絶を修復――。58歳を迎えた男の“知られざる第2の人生”に迫る。(全3回の3回目/#1、#2へ)※敬称略、名前や肩書きは当時
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「ブチ切れましたね」
あの投手起用を思い出すと、未だに虫酸が走る。加藤哲は右肩を痛めて1990年のシーズンを棒に振ったが、翌年の夏に抑えのエースとして復活した。
首位・西武を2.5ゲーム差で追う近鉄は9月23日、敵地での直接対決で5対3とリードする。9回表が終わると、加藤哲は気合を入れ直した。しかし、自分の名前はコールされない。仰木彬監督は5回途中から救援していた山崎慎太郎を続投させた。
「どうなってるんだと思って。山崎なんか打たれるに決まってるだろと。案の定、鈴木健に同点2ランを浴びた。今まで俺を信用してたのに、ここ一番で裏切るかと思いましたよ」
1991年の復活「自分の身体は自分しかわからない」
その直後からマウンドに上がり、押せ押せムードの西武打線を封じたが、最後の直接対決での引き分けは終戦を意味していた。この年、復活の背景には独自の調整法があった。
「試合中のブルペンで、神部(年男)コーチに『加藤君ピッチングしようか』と言われても、『どうせ投げないからまだいいです』と答えてましたね。だって、野茂(英雄)が完投しそうな試合で言われてもね。試合前の50メートル10本のダッシュを命じられても、『今、まだ走る気ないんで』と断ってました」
野武士集団の近鉄には、コーチの指示を聞かない猛者が揃っていたのか。
「僕だけですね。肩の具合もあるし、自分の身体は自分しかわからないですから。ピッチャーの仕事はゲームに良い状態で臨むこと。投手コーチの仕事は『ピッチングしようか』『ランニングしようか』と促すことやから(笑)。広島から来た清川(栄治)さんがビックリしてましたよ。『すごいな、おまえ。ランニングいりませんって。そんなヤツおらんやろ』って。その代わり、結果が出なければ自分で責任を取る覚悟はありました」
右肩痛を再発…言い渡された“自由契約”
復活の翌年、右肩痛が再発してしまう。そして、登板なしに終わった1993年オフ、加藤哲は球団から都ホテルに呼び出される。