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「日本でビックリしたのはプロ野球のレベルの高さだよ」巨人をたった2年でクビになった助っ人ピッチャーの告白…“その後”「5年間もメジャーで活躍した」
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細田昌志Masashi Hosoda
photograph byGetty Images
posted2025/10/02 17:03
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代のキース・カムストック
5月29日のエクスポズ戦で初登板。そこから2勝1Sの成績を残すも、7月に3対4の交換トレードでサンディエゴ・パドレスに移籍する。ここでもメジャーリーグのマウンドで投げ続けた。
89年途中にシアトル・マリナーズに移籍すると、かつてロッテ・オリオンズに在籍した経験のあるジム・ラフィーバー監督の信頼を勝ち取り、中継ぎの柱として活躍の場が与えられた。90年には7勝4敗2S、防御率2.89をマークするなど、中継ぎの柱として、1991年まで現役を続けたのである。
米球界復帰後、カムストック自身は次のように述懐している。
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「日本でビックリしたのは野球のレベルの高さだよ。来日前に予想していたものより、はるかに高かった。ボクが見た日本のプレーヤーで、メジャーで通用しそうなのをあげると、まずカケフ(掛布)だな。おそらくナンバーワンプレイヤーだろう。(中略)シノズカ(篠塚)、キヨシ(中畑)、カープのタカハシ(高橋)も大リーグでやれるんじゃないか」(『週刊ベースボール』1988年1月16日号)
MLBにおいて、今や日本人メジャーリーガーの存在はなくてはならないものとなったが、カムストックの日本球界における苦労と、米球界復帰後の些かの活躍は、30年早く、そのことを立証していたのかもしれない。

