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「日本でビックリしたのはプロ野球のレベルの高さだよ」巨人をたった2年でクビになった助っ人ピッチャーの告白…“その後”「5年間もメジャーで活躍した」
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細田昌志Masashi Hosoda
photograph byGetty Images
posted2025/10/02 17:03
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代のキース・カムストック
これによりカムストックも首の皮一枚つながったが、それでも、巨人フロントは新外国人の獲得をあきらめず、2月17日、前年カリフォルニア・エンゼルスに在籍していたベネズエラ出身の現役メジャーリーガー、ルイス・サンチェスとの契約を発表する。背番号は20。登録名は「サンチェ」である。
本来なら、このタイミングでカムストックは巨人を退団してもよさそうなものだったが、そうはしなかった。理由は主に次の4つである。
(1)まず、前年の8勝が評価され年俸が3800万円(推定)に微増していたこと
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(2)帰国したら再びマイナー生活に逆戻りで、ここまでの報酬は手に出来ないこと
(3)また、カムストック自身が好待遇が保証される日本でのプレーを望んでいたこと
(4)巨人以外のチームからオファーがあれば受けるつもりだったが、皆無だったこと
同時に、巨人にとってもカムストックを手放したくない事情があった。理由は主に次の3つである。
(1)リリーフエースであるサンチェほどの活躍は期待出来ないが、前年8勝の実績は馬鹿に出来ないこと
(2)クロマティとサンチェが負傷したり、不調になったとき、いつでも一軍に上げることが出来る。すなわちスペアとしての役割がはたせること
(3)二軍にカムストックが常に待機しているとなると、クロマティもサンチェもウカウカしていられず、おそらく必死で頑張るはずであること
かくして、カムストックの86年のシーズンは異例の二軍から始まった。
「ファームで投げるのは屈辱じゃないかって?」
イースタン・リーグにおける初登板は、4月23日の後楽園球場のデーゲーム、日本ハム戦だった。前年と打って変わって閑散としたスタンドの中、2イニング1安打無失点の好投を見せると、その後もカムストックの快投は続き、6月末まで4勝0敗・防御率1.82、与四球もたったの6。それでも、本人のコメントは至って謙虚である。
「ファームで投げるのは屈辱じゃないかって? いや、もしもサンチェに不測の事態が起きて一軍から呼ばれたとき、準備ができていないなんて、プロとして最も恥ずかしいことだからね」(『週刊ベースボール』1986年5月12日号)
また、それ以前にはこうも述べている。

