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「日本でビックリしたのはプロ野球のレベルの高さだよ」巨人をたった2年でクビになった助っ人ピッチャーの告白…“その後”「5年間もメジャーで活躍した」 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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posted2025/10/02 17:03

「日本でビックリしたのはプロ野球のレベルの高さだよ」巨人をたった2年でクビになった助っ人ピッチャーの告白…“その後”「5年間もメジャーで活躍した」<Number Web> photograph by Getty Images

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代のキース・カムストック

「ボクが上に行くということはつまり、サンチェが通用しないか、あるいはケガ、またはクロマティに何かあったときじゃないか。今のチームのことを考えたら、ボクは一軍へ上がっちゃいけないんだ」(『週刊ベースボール』1986年3月24日号)

 事実、この時点で、サンチェはリリーフエースとして大車輪の活躍をしており、巨人にとってなくてはならない存在となっていた。その活躍が認められ、サンチェはオールスターゲームに監督推薦で出場が決まってもいた。セ・リーグを代表するストッパーとしてである。

巨人をクビに→阪神入団希望したが…

 しかし、そのオールスターゲームで事件が起こる。7月19日、後楽園球場で行われた第1戦、8回裏から登板したサンチェは2安打1死球の乱調、加えて5人目の石嶺和彦(阪急ブレーブス)に1球目を放った直後、マウンド上で右腕痛を訴え、突如降板してしまう。診察の結果「右上腕二頭筋疲労性筋炎」で全治2週間が言い渡され、登録抹消となったのだ。

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 ここでようやく、カムストックの一軍復帰が決まったのである。

 復活登板は思いのほかすぐに来た。7月30日阪神戦(甲子園)。しかし“鬼門甲子園”のジンクスはやはり生きており、初回に阪神打線にいきなり捕まり、岡田の二塁打、佐野のタイムリーで3失点、4回でKOされてしまう。この6日後、8月5日の中日戦(後楽園)でも先発のマウンドに立つも、ここでも打ち込まれ、5回途中4失点で敗戦投手。16日の大洋戦(横浜)では、初めて中継ぎとして登板するが、ここでも打ち込まれ2失点KO。結果を出すことは出来ず、サンチェの復帰に合わせて二軍落ち、そのまま寂しくシーズンを終えた。

 86年シーズン終了後、巨人フロントから自由契約を通達されたカムストックは、日本球界でのプレーを強く望んだ。代理人のミヤサンドを通じて、本人は阪神への入団を希望する。阪神も関心を示したというが、まとまらず、結局、カムストックの日本生活は2年で終了。失意のうちに日本球界から去ることになった。余談になるが、このとき阪神が獲得した外国人投手が、その後、4年にわたって日本で活躍するマット・キーオである。

メジャーで5シーズン投げ続けた

 帰国直前のことである。同僚であるクロマティは、カムストックの労をねぎらおうと、食事をともにしている。ささやかなフェアウェルパーティのつもりだったのだろう。クロマティの自伝にはこうある。

《俺は彼を友達だと思っていた。だから帰国直前に、サヨナラの意味で『ニックの店』で一緒にチキンスパゲッティを食べた、それから握手して幸運を祈った》(『さらばサムライ野球』講談社文庫)

 このとき、クロマティがどの程度、真剣にカムストックの幸運を祈ったかわからないが、米球界復帰後のカムストックは、まず3Aフェニックスで4勝2敗2S、防御率2.77の成績をあげると、5月にはメジャーに昇格。サンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結ぶ。

【次ページ】 メジャーで5シーズン投げ続けた

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