甲子園の風BACK NUMBER
「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」
posted2025/08/18 11:22
名門・箕島高校が最後に甲子園の土を踏んだのは12年前だ
text by

曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
KYODO
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「甲子園は、遠い夢だな…」
「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」
野球部監督の北畑清誠に活を入れられて、3年生で主将の野村常登が「はい!」と返事をする。やや小柄で、優しそうな顔をしていた。夏の大会前に東京からやってきた取材者を不審がるでも迷惑がるでもなく、“ちゃんと”質問に答えてくれた。
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当然ながら、現役の高校生に箕島が甲子園春夏連覇を果たした1979年の記憶はない。ただ、言葉の端々から名門の歴史を継承しなければならない、という意志は感じられた。
「最初に『箕島やぞ』って言われたときはピンとこなかったんですけど、やっていくうちに強かったんだって意識は持つようになりました。勝たなきゃいけないプレッシャーもあります。でも、現実は秋、春と初戦で負けてしまって……。強かった箕島とは違って、目の前の1試合を勝つだけで必死です」
どれだけ低迷していても、高校球児であるかぎり甲子園を夢見る自由は許されている。残酷かもしれないと思いながら「甲子園に行けると思ったことは?」と問いかけると、野村はどこか寂しそうに答えた。
「思ったことはあるんですけど、現実は甘くなかったです。まだ遠い夢だなと感じます」
監督の北畑によると、かつての野球部のような厳格な上下関係はなく、上級生と下級生の仲も良好だという。困り顔で「後輩にイジられることもありますね。楽しくやってます」と話す野村の雰囲気を見て、それは本当だろうなと直観した。北畑は「3年生が頼りないんですよ」と苦笑していたが、穏やかでいいキャプテンだと素直に思えた。
「監督、いっつも怒ってるんですよ」
続けざまに、2年生の西川篤人にも話を聞いた。凛々しい眉が印象的な細身のキャッチャーだ。父は箕島高校OB。「俺らで箕島を強くしようや」という思いが合致した和歌山有田ボーイズの同級生6人と一緒に入学した。

