甲子園の風BACK NUMBER
「正直、野球部が嫌いな校長もおったし…」高校野球“消えた名門”箕島高校…最後に甲子園に出た前監督の告白「箕島はこうして勝てなくなった」
posted2025/08/18 11:24
2013年、箕島を夏の甲子園出場へ導いた尾藤強・前監督(手前)。以来、箕島は甲子園に出場できていない
text by

曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
KYODO
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話を聞いていてわかった。尾藤強は、醒めた目で現実を見据えることができる人間だった。ひとつ歯車が違えば、尾藤公と親子2代で「名将」と呼ばれる道もあったのかもしれない。だが、建設業と並行しての外部監督ゆえ、学校側とのすれ違いが重なった。野球部の授業態度が悪い、尾藤監督は昼間に働いているから指導が行き届いていない――そんな指摘をたびたび受けた。
校長が替わるたびに右往左往する学校の方針とのすり合わせにも苦労した。「正直、野球部が嫌いな校長もおったし」と強は言った。そして2018年の秋、部員同士の暴力沙汰が問題となり、学校側から退任を促される。
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「外部監督はノー、という流れになりつつありましたからね。よく冗談で言うんですけど、もし吉井(理人)さんがロッテの監督あがって箕島の監督をすることになっても、校長がクビって言ったらクビ。まあ、肩叩き的なことですわ。ほな、いま辞めますと言ったんですけど、来年の3月まで、と学校が言う。こっちは教師やないから。辞めるんならいまか、来年の夏やと。それで2019年の夏で辞めることになったんです」
「それじゃ一生甲子園出られへんって」
後任の監督に野球部部長(当時)の北畑清誠を推挙したのは強だった。
「公立校の人事は誰がどうなってもおかしくない。知らん人がなっても思ったよりプレッシャーがあるし、そうなったら互いに不幸やし。部長としてずっとおったんで、いろんなことがわかってる人間が北畑だった。ただ僕が辞めた時点で、もう協力はええ、野球部はもう知らんと思ったOBも多かった。学校側に対して、もうわしら何もすることないし、やったれんよと。OBからしたら『北畑、ご苦労さん。すまんな』という気持ちだと思う」
現野球部が今夏の目標として「県大会ベスト4」を掲げていることを伝えると、強の表情が曇った。苦々しげに首をひねり、吐き捨てるように言った。

