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「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」 

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曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

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posted2025/08/18 11:22

「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」<Number Web> photograph by KYODO

名門・箕島高校が最後に甲子園の土を踏んだのは12年前だ

「お父さんがいたから、っていうのもちょっとあると思います。それに単純に野球に打ち込めるとも思ったんで。難しいのはわかってますけど、中学のときはあんまり勝てなかったから、高校でやり返したろうって」

 監督の厳しさについて質問したところ、笑みを浮かべながらこう語った。

「監督、いっつもだいたい怒ってるんですよ。でも、たまに笑顔を見せるんです。あの人、笑うんや……って。でも厳しくてよかったと思いますね。厳しいほうがやりがいも感じるので、僕には合っていたと思います」

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 伝統のラントレをはじめ、練習は想像以上にハードだった。名門復活の道は険しく、勝てない悔しさを何度も味わった。それでも西川は、こちらの目を見つめて「中学のときよりも楽しいです。箕島に入ってよかった」と言い切った。

 初対面の大人に、どこまで本音を明かしているのかはわからない。ごく個人的には、厳しさを是とする指導に疑問を抱かないわけではない。どんな集団であっても、厳しさが閾値を超えたとき、暴力や暴言が正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」という言葉に、無粋な疑いを差し挟む余地はないのだろう。

「報徳ではなく…あえて箕島を選んだ」

 さらに西川とバッテリーを組む2年生エースの澤甚太郎も取材に応じてくれた。西川と同じ思いを抱いて和歌山有田ボーイズから箕島の野球部に進んだ6人のうちのひとりだ。父と3歳上の兄は箕島の野球部OB。そして2歳上の兄・剣太郎は耐久のショートとして2024年のセンバツに出場した。名将・尾藤公の薫陶を受けた父は、息子にこう言った。

「俺が箕島やからって、箕島に行ってほしいとかはない。行きたいところに行ったらいい」

 兵庫県の報徳学園高校も選択肢に入っていた澤だが、ボーイズの仲間たちの存在もあって箕島への進学を決めた。

「私学で当たり前に甲子園に行くより、みんなで力を合わせて強いところを倒して甲子園に行くほうが、高校野球、面白いんじゃないかって。それが一番ですね」

 入学後、特に強烈だった記憶は冬練習での徹底した走り込みだという。澤は「ほんま、死にそうやったですね」と笑う。身長168cmと大柄ではない澤だが、打線では中軸を担い、最高球速は135km。猛練習の甲斐あって入学時から7kmアップした。現在は145km到達を目標に掲げている。

 父や兄も背負った名門・箕島の看板は、澤にとってどんな意味を持つのだろうか。

【次ページ】 「和歌山で“中の下”くらい」

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