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「親父は相当怖かったですよ」甲子園4回優勝、奇跡の公立校…箕島高校の名将・尾藤公とは何者だったのか? 息子が証言「態度が悪い選手シバいてた」
posted2025/08/18 11:23
箕島高校の名将・尾藤公(びとう・ただし)。春夏合わせて甲子園出場14回、優勝4回
text by

曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
KYODO
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和歌山県立箕島高校からほど近いカフェレストランで、野球部前監督の尾藤強(びとう・つよし)は慣れた調子で質問に答えていった。ときおり義務的にアイスコーヒーを口に含みながら、つとめて淡々と、あるいは飄々と。
父は箕島の全盛期を築き上げた名将・尾藤公。息子の強は1980年代中盤の箕島でエースを任され、2013年から19年まで同校監督を務めた。就任1年目には、29年ぶりの夏の甲子園出場へと導いている。箕島の親子鷹として注目を集めた高校時代から監督時代まで、取材は飽きるほど受けてきた。そんな印象を与える振る舞いだった。
「親父も笑いながらしばいてた」
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「入学したときから新聞社がいっせいに来ましたからね。それが面白くない先輩もおるし。どこの取材やねん、とかよく聞かれました。自分が高校のときの親父との関係は100%、選手と監督。親父という感覚は1ミリもない。親父も付き合いで家にいないですし、顔合わすこと自体ほとんどなかった。入学しても、『あ、尾藤監督や』って。それだけでしたね」
どこまで聞いていいのかと距離を測りかねているこちらの緊張をほぐすかのように、尾藤強はうっすらと笑みを浮かべていた。父が甲子園のベンチで見せた「尾藤スマイル」とは違う、かすかに諦念を帯びた笑顔。選手目線で見る監督・尾藤公は、スマイルの印象とは裏腹に「怖かったですよ」と明かす。
「怖さは相当、相当やね。エラーに怒るとかやなくて、選手の姿勢とか態度とかね。サインに対して『バントですかぁ』みたいな顔したら死ぬ目にあってたね。そういうのには厳しかった。ただ、大抵は親父の前にいって一発しばかれたら終わり。選手はそれで切り替えるし、親父も笑いながらしばいてた」

