甲子園の風BACK NUMBER
「100人いた野球部員が15人まで減少」高校野球“消えた名門”箕島高校の今…地元の人が「昔は強かったみたいですね…」甲子園優勝4回、奇跡の公立校に何が?
posted2025/08/18 11:20
春夏合わせて4回甲子園優勝している名門・和歌山県立箕島高校(有田市)
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曹宇鉉Uhyon Cho
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かすかに海のにおいがした。箕島駅を出て南に直進し、有田川にかかる安諦橋の上で河口側に目を向ける。紀伊水道はうっすらとしか見えないが、川に沿って潮風が漂ってくるのを感じた。
国内有数のみかんの産地として知られる和歌山県有田市。その中心部にあたる箕島に、かつて高校野球界を席巻した名門校がある。和歌山県立箕島高等学校。春3回、夏1回の全国制覇を果たし、1979年には公立高校として史上唯一の甲子園春夏連覇を達成した。率いたのは名将・尾藤公(びとう・ただし)。野球部OBも錚々たる顔ぶれで、通算251勝の東尾修、元メジャーリーガーで現千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人をはじめ、数多のプロ野球選手を輩出している。
「高校野球史上最高の試合」
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ひとつの試合が、いまも奇跡として語り継がれている。1979年8月16日。16時6分にプレイボールした夏の甲子園3回戦で、センバツ王者の箕島は石川県代表の星稜と対戦した。1対1で突入した延長戦。のちにプロ入りする石井毅(現:木村竹志)と嶋田宗彦のバッテリーを擁した箕島は、12回表と16回表に星稜の勝ち越しを許す。しかし裏の攻撃で二度にわたってツーアウトからのホームランで同点とする。二度目のホームランの直前には、キャッチすればゲームセットのファウルフライを星稜の一塁手が転倒して捕りそこねる信じがたい幸運もあった。
時計の針は20時を回ろうとしていた。3対3で迎えた延長18回裏。1死一・二塁からサヨナラタイムリーが飛び出し、3時間50分の死闘は箕島の勝利で幕を閉じた。18回を投げ抜いた石井の球数は257球、対する星稜の先発・堅田外司昭の球数は208球。甲子園球場の投光器から降りそそぐ二色の光のもとで、野球というスポーツが生み出しうるあらゆる感情が交錯していた。
のちに「高校野球史上最高の試合」と称される一戦を制した箕島は、その勢いのまま春夏連覇を成し遂げる。劇的という表現さえ陳腐に思えるような、途方もないドラマだった。ノンフィクション作家の山際淳司は、この試合を題材に「八月のカクテル光線」(初出:『Sports Graphic Number』1980年8月20日号「465球の奇跡」を改題)を執筆した。
山際はこう記している。


