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夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う 

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田中仰

田中仰Aogu Tanaka

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posted2025/08/02 11:00

夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う<Number Web> photograph by NumberWeb

1980年代初頭、超攻撃野球で社会現象を巻き起こした名門・池田高校(徳島県三好市)

 都内のファミリーレストランに現れた人物は、“攻めダルマ”と称されたいかにも豪傑といった風貌の祖父とは似つかなかった。黒髪にメガネの文化的な雰囲気を漂わせる中年男性。名を蔦哲一朗という。

「じいちゃんはメディア対応が上手かったんですよね。表に出ることを嫌がらない人だった。記者の方と一緒にお酒を飲んだり。僕も調べてわかったことなんですけど」

「じいちゃんを嫌いな人もいる」

 哲一朗は1984年、徳島県池田町(現・三好市池田町)に生まれた。池田野球部の黄金期は物心がつく前に去り、蔦も1992年に監督を退任している。それゆえ祖父について記憶していることもそう多くないのだと語る。

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「じいちゃん家の裏にプレハブ小屋みたいな寮があったんですよ。そこに40人くらい選手たちが住んでました。選手が読み終えて捨てたジャンプとかマガジンを、僕が拾って読んでいた記憶はありますね」

 哲一朗が高校2年生のとき、蔦は闘病生活の末に亡くなった。祖父について深く知ったのは映画の撮影を始めてからだった。

「人によってじいちゃんの捉え方は違うと思うんです。蔦文也の存在があったから徳島の野球がうまい選手は池田に集まった。それまで一般的ではなかったウエイトトレーニングやポカリスエットをいち早く取り入れて、打ち勝つ野球で高校野球の常識を変えた。これがA面です。同時に、じいちゃんは地元で神様みたいな存在になっていた。もともと頑固で自分の信念を貫く人。そこに実績がついたら、誰も意見できなくなりますよね。だから当時近かった人の中には、じいちゃんを嫌いな人もいたみたいです。じいちゃんに裏切られたと感じている人も」

 当時の池田が勝ち続けた理由を探るうえで蔦文也を理解することは不可欠に思えた。それも“A面”だけでなく多面的に。聞けば蔦監督時代のコーチが池田町の隣町に住んでいるという。

「話すのは構わんけど。美談は言わないよ? それでもいいなら」

 蔦文也に裏切られた人がいる――。哲一朗の言葉が頭をよぎった。それまで漠然としていた取材の目的がくっきり目の前に立ち上がってきた。

山間の池田町を訪れると…

 この夏、2年ぶりに池田を訪ねた。四国の東側、兵庫・淡路島に近い徳島市は、海へも本州へも開かれている。その徳島市街地から吉野川沿いを西へ車で70分ほど。徐々に山間が狭まっていく終着点、徳島県の西端に池田町はある。

【次ページ】 「全国放送で阿波弁を…」だから蔦は愛された

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