甲子園の風BACK NUMBER

高校野球の名門・池田高に驚愕の新証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」当時コーチが断言する“カリスマ名将の異変”…徳島現地で取材

posted2025/08/02 11:01

 
高校野球の名門・池田高に驚愕の新証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」当時コーチが断言する“カリスマ名将の異変”…徳島現地で取材<Number Web> photograph by Asahi Shimbun

池田高校野球部の監督として甲子園で優勝3回、準優勝2回。「名将」として知られる蔦文也

text by

田中仰

田中仰Aogu Tanaka

PROFILE

photograph by

Asahi Shimbun

徳島の山間にある公立高校が甲子園で11連勝、夏春連覇――。“日本で最も愛された”池田野球部の謎を平成生まれの記者が追った。当時コーチの証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」【全3回の2回目/3回目へ】

◆◆◆

 1982年夏、83年春の甲子園を連覇し、それぞれ畠山準、水野雄仁というドラフト1位を2年連続で輩出した。池田町にメディアが殺到した。「池田ののびのび野球の秘訣」。そんな類のタイトルがつけられた番組が放映された。テレビ局3社が池田に密着した時代もあった。そんなメディアを蔦は敬遠せず、むしろ巧みに活用し、ますます池田人気は沸騰した。

 池田の存在感はもはや高校野球の枠を超えていた。1987年卒業のOB、松端範人が当時のエピソードを明かす。

ADVERTISEMENT

「(野球用具メーカーの)ZETTってあるでしょう? そこの営業の方が、試作品の金属バットをグラウンドへ持ってきて、野球部員に打たせて感想を聞く。商品開発の参考にしたみたいです。僕らもふざけて『このバットはあまり飛ばんなぁ』とか生意気言ってましたね」

 才能豊かな子どもが池田に集まった。中学生のうちに県外から引っ越してくる生徒も少なくなかった。そんな有望選手が小技を捨てて徹底的に打撃を磨く。そして、勝った。まさに池田の黄金時代だった。

「英雄像はフィクションだ」

――すごい時代でしたよね。筋トレを取り入れてパワー野球で優勝した。高校野球の歴史を変えたと言われています。

 定説とされる池田像をある人物に伝えた。すると首を捻りながら淡々と呟いた。

「まあフィクションも多分に含まれてるわね」

 この男こそ池田の最強時代をコーチとして支えた川原良正である。「美談は言わない。それでもいいなら」という条件で、自宅での取材を承諾してくれたのだ。

【次ページ】 「指導力はない。素人監督だよ」

1 2 3 NEXT
#池田高校
#蔦文也
#畠山準
#水野雄仁
#井上力
#川原良正
#梶田茂生
#PL学園高校
#清原和博
#桑田真澄
#荒木大輔
#早稲田実業高校
#広島商業高校
#同志社大学
#徳島商業高校
#読売ジャイアンツ

高校野球の前後の記事

ページトップ