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「お風呂から上がると留守番電話が」ホークス移籍通告で放心状態のスラッガー・多村仁志の「スイッチが入った」王貞治監督の“ある言葉”とは
text by

石塚隆Takashi Ishizuka
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/18 11:41
愛着ある横浜から“放出”されると受け止めて放心していた多村の心を動かしたのは、王貞治監督の「あるひと言」だった
FA宣言をした後、リーグ優勝パレードのときに、多村は王会長の想いに触れることになる。
求められているんだな
「パレードの際、車に乗ると僕の隣に王会長が座ったんです。本当は、王会長は別の車に乗る予定だったそうです」
祝福するファンの間を、二人は並んでゆっくりと行進した。とくに言葉を交わすこともなかったが、わざわざ隣に来てくれた王会長に多村は深く感謝をした。
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そして車を降りるとき、球団社長が多村のもとへやってきた。すると王会長と「来年も一緒に頑張ろうな」と、言われた。その瞬間、多村の腹は決まった。
「ああ、求められているんだなって……。そんなこと言われるなんてなかなかないことですし、それにリーグ優勝はしましたがまだ日本一にはなっていない。確かにメジャー挑戦は夢でしたけど、自分が一番大事にしていたことは“誰かのために頑張ること”でした。ファンの方々や仲間、家族、そして王会長。自分を変えてくれたのは間違いなく王会長でしたし、それもあってホークスに骨をうずめようと思い残留することにしました」
人には時に、どうしても守らなければいけないものや裏切ってはいけないものがある。多村はこれまでの恩や縁、そして求めてもらえるという誰かのために頑張れる原動力を得たことで、ソフトバンクで戦うことを決めた。
悲願の日本一に貢献
そして翌2011年、ソフトバンクはリーグを連覇するとクライマックスシリーズを勝ち抜き日本シリーズへ進出。多村は骨折をしていながらも強行出場し、第3戦でチーム初本塁打となる2ランを放ち攻撃陣に勢いを与えると、第5戦では2打点を挙げ日本一に貢献した。
親会社がソフトバンクとなり初となる悲願の日本一。そのとき、ふと多村は思った。
「ああ、自分のホークスでの仕事はこれで本当に終わったのかなって……」
ソフトバンクに骨をうずめる覚悟ではあったが、一方でまた別の思いも頭のなかをよぎっていた。そして多村は2012年のオフに、図らずも2度目のトレードを経験することになる。
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