プロ野球PRESSBACK NUMBER
「お前の方が使えんわ!」電撃トレード→監督室に怒鳴り込み→伊原春樹と衝突でオリ戦力外「問題児だな」なぜ山崎武司は楽天に拾ってもらえたか
posted2025/07/07 11:02
2003年、オリックス移籍直後の山崎武司。しかし所属2年目は監督との関係に悩まされることが多かった
text by

間淳Jun Aida
photograph by
JIJI PRESS
伊原春樹が新監督に…「もう終わった」
2003年、初めて中日以外のユニフォームを着てキャンプインを迎えた。不安しかなかったが、慣れるまでに時間はかからなかった。チームは変わっても、プロ野球選手なのは同じ。やるべきことは不変だと山崎は気付いた。
移籍1年目の転機は、監督の交代だった。チームを指揮していた石毛宏典が開幕からわずか20試合で解任。打撃コーチだったレオン・リーが監督に就任した。チームスタイルが、これまでの「守備重視」から「攻撃型」へと変わり、山崎に出場機会が巡ってきた。
「レオンとは密にコミュニケーションを取って、すごく良い関係でやらせてもらいました。打率は低かったですが、次のシーズンは復活できるかもしれないという手応えを感じていました」
ADVERTISEMENT
オリックス1年目の成績は打率.232と確実性は高くなかったが、110試合に出場して22本のアーチを描いた。周囲も復活を期待した。しかし、ここから上昇気流に乗れないところが、波乱万丈の野球人生を歩む山崎らしい。レオン・リーはシーズン終了後に監督を解任され、新監督は伊原春樹に決まった。伊原の名前を聞いて、山崎は「もう終わった」と落胆したという。
「伊原さんは西武の監督時代に『アレックス・カブレラはいらない』と発言していた人なので、野球観が合わないと感じていました。オリックスとは2年契約だったので、あと1年残っていましたが、たいして出番がないまま1年間過ごして自分の野球人生は終わると思いました」
最初は好印象→修復不可能になった出来事とは
伊原監督との関係は最初から悪かったわけではない。スタートは予想に反して、好印象だった。キャンプの全体練習では山崎と谷佳知、助っ人外国人2人の計4選手はバント練習を免除された。伊原監督からは「お前ら4人には試合でバントはさせないから、バント練習に入らなくて良い。帰って良いぞ」と指示された。
「中日時代は星野さん(星野仙一監督)から、しっかりとバント練習するように言われました。伊原さんは西武の監督をしていた頃と考え方が変わったのかなと感じました」
ところが、良好な関係は長く続かない。

