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「お風呂から上がると留守番電話が」ホークス移籍通告で放心状態のスラッガー・多村仁志の「スイッチが入った」王貞治監督の“ある言葉”とは 

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石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/07/18 11:41

「お風呂から上がると留守番電話が」ホークス移籍通告で放心状態のスラッガー・多村仁志の「スイッチが入った」王貞治監督の“ある言葉”とは<Number Web> photograph by JIJI PRESS

愛着ある横浜から“放出”されると受け止めて放心していた多村の心を動かしたのは、王貞治監督の「あるひと言」だった

体が動くかぎり出場した理由

 多村という選手は、誤解を恐れずに言えばベイスターズ時代には「ベストの状態でファンの前に出るのが選手の務め」として、コンディションが万全でなければ様子を見るということもあった。だが、ソフトバンクでは苦しい状況であっても体が動くかぎりグラウンドに立った。果たしてどのような心境の変化があったのだろうか。

「求められて移籍をして1年目、多村仁志というのはどんな選手なのだろうと、誰もが思っていたと思うんです。怪我が多いイメージもあったと思いますし、そういったなかで1試合でも多くファンの方々に見てもらいたいという思いもありましたし、チームのために尽力したいという気持ちも強かった。でも一番は、目をかけてくれた王監督のためにというものがありました」

 王監督からは「休んで治せ」と言われたが、自分の意思を伝え、太ももをテーピングでぐるぐる巻きにして戦い抜いた。

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 その後は試合中の避けられないアクシデントで長期離脱もあったが、出場すればクリーンナップを任され、その姿はファンからも支持され、縁のなかった福岡の地で数年後には“ホークスの多村”として認識されるようになった。

FA権とMLB挑戦のチャンス

 4年目の2010年シーズンは、シーズン途中から4番を任されると、セ・パ交流戦では史上最高打率(当時)となる.415で首位打者を獲得。シーズンを通してコンスタントに打ちまくり、最終的にはチーム三冠王となる打率.324、27本塁打、89打点という成績を挙げて、ソフトバンクの7年ぶりのリーグ制覇に貢献した。外野手では最高得票数でベストナインに選出され、まさに選手としてピークを迎えていた。

 そしてこのシーズンオフ、多村はMLB移籍を視野に入れFA権を行使した。学生時代から熱心に見ていた夢のメジャーリーグ。すでに33歳となっており、これが最後のチャンスだと多村は考えていた。

「僕は10年目にレギュラーになったので、FA権を取れるとは思っていなかったんです。それが何とか権利を得ることができて、リーグ優勝もできたことで恩返しできたかなと思いましたし、若いときから夢だったメジャーに挑戦するのはここしかないとFA宣言させてもらいました」

 しかし、多村にはソフトバンクに残留してもらい、まだ一緒に戦いたいと強く願っていた人間がいた。それは監督を退いていた王貞治球団会長だった。

【次ページ】 求められているんだな

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