革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

鈴木啓示と野茂英雄はなぜ反目したか…「お互い年取ったな」心の広い男・鈴木監督を一方的に断罪したくはないが「今は取材はしんどいのと違うか」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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posted2025/06/13 11:06

鈴木啓示と野茂英雄はなぜ反目したか…「お互い年取ったな」心の広い男・鈴木監督を一方的に断罪したくはないが「今は取材はしんどいのと違うか」<Number Web> photograph by KYODO

他紙の記者に「やり過ぎやな」とたしなめられるような記事を出していた筆者にも、鈴木啓示監督は悠然としていたが……

「ちょっと、取材はしんどいのと違うかな?」

 鈴木のプライバシーにかかわるため、詳細は伏せるが、どうも体調面の懸念があるようで、ここ最近、取材を受けていないようなのだ。

鈴木監督を断罪したいわけではない

 ここまでの15回の連載で、鈴木の監督としての能力に疑問符をつけ、そのキャリアに傷をつけるような悪印象を与えていることは否定できない。

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 だが、鈴木を断罪することがこの連載の本意ではないし、取材の鉄則としても、選手サイドだけになり、鈴木から話を聞けていないというのは、決して褒められたものではない。

 しかし、今回ばかりは、鈴木の取材を諦めざるを得なかった。そこで、できるだけ多くの証言を集め、鈴木に対する見方が偏らないよう、そして、鈴木が一方的な悪者にならないよう、慎重にバランスを取ることを心掛けたつもりだ。

 言い訳めいた始まりになってしまったことが心苦しいが、読者の方々にも、鈴木に触れておきながら、鈴木を取材できていないという事情をご理解して頂いた方がいいのではないかと思い、長い前置きを記した次第である。

 鈴木啓示と野茂英雄との確執、そして、近鉄の選手たちとの関係。これらを改めて精査していくことで「1994年の近鉄バファローズ」が、ひいては、第11~15回で述べてきた、野茂がメジャー挑戦を決断するに至った背景も、より見えてくるのではないかと思う。

つづく

#17に続く
「鈴木啓示監督を嫌いとかではなかった」吉井理人が“ボール蹴飛ばし事件”で近鉄から電撃トレードされた深層「あれで、気持ちが切れました」
この連載の一覧を見る(#1〜25)
#25
「野茂英雄が行っていなかったら、道がないですよ」1994年の近鉄バファローズが生んだものとは…藤井寺の「夢の跡」に“彼らの息づかい”は今も
#24
野茂英雄は日本球界に何を残したか「日本人でも、武器があればメジャーで」…佐々木誠・長谷川滋利そしてイチローが「やれないことはない、と」
#23
「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」
#22
「野茂英雄はサイドスローなんです」メジャーに最も近かった男・佐々木誠が語る“新たな野茂観”と“特異性”「球種を見破っても打てなかった」
#21
「野茂のフォークは邪魔やったよね」当時MLB最強投手を打ち砕いた“メジャーに最も近かった男”佐々木誠が見た「近鉄の野茂英雄」の凄さとは?
#20
「『石井さんには実力がない』だと!?」衝撃の年俸6割カット提示で石井浩郎まで…野茂英雄ら主力が軒並み去った「1994年の近鉄」とは何だったのか
#19
「野茂英雄は練習嫌い」だったのか? 野茂が口にせず鈴木啓示が誤解していた“真実”が明らかに「ボタンの掛け違いで…やり切れないよね」
#18
「態度悪いですよね。でも…」“胴上げに背を向けた男”吉井理人の感情の激しさを鈴木啓示は認めなかった「監督と選手の心の絆が薄れていた」
#17
「鈴木啓示監督を嫌いとかではなかった」吉井理人が“ボール蹴飛ばし事件”で近鉄から電撃トレードされた深層「あれで、気持ちが切れました」
#16
鈴木啓示と野茂英雄はなぜ反目したか…「お互い年取ったな」心の広い男・鈴木監督を一方的に断罪したくはないが「今は取材はしんどいのと違うか」
#15
野茂英雄のメジャー初勝利を「抱き合って喜んだ」…野茂が去り“最下位転落”した近鉄同僚の思い「また野球をできてよかった」「すごいヤツだよな」
#14
「野茂は野球ができなくなるんじゃないか」近鉄同僚が見た野茂英雄と球団の“決裂”と“MLB移籍”「どうやって行くんだ?」「絶対無理や」
#13
野茂英雄が「俺、アメリカ行けるから」30年ごしの証言で“決定的文書”の存在が明らかに…野茂と団野村が突いた“盲点”「任意引退」のウラ側
#12
「お前、全然アテにされてないぞ」1994年近鉄主力と首脳陣の間の“微妙な風”と“真逆の野球観”…「野茂英雄はずっと怒っていました」
#11
野茂英雄に「このまま死んだら思いを伝えられない。ただ、ひたすら頭を下げたいんです」最大の盟友・佐野重樹の悔恨と「1994年の野茂の決断」の真相
#10
1994年「野茂英雄の191球」と2016年「藤浪晋太郎の161球」は“さらし投げ”だったのか? そして起こった右肩の不調から野茂“日本最終登板”まで
#9
野茂英雄「191球16四球で完投」事件はなぜ起きた? 鈴木啓示監督の“罰投”説にチームメイトが明かす“エースの気概”「野茂は意地でも投げるよ」
#8
「そのことは、改めてお話しします」野茂英雄“2軍落ち直訴”の噂に本人を直撃も…31年後に阿波野秀幸が教えてくれた答え「あれが決定的だった」
#7
野茂英雄が「ものすごい形相で」…同学年・小池秀郎の2軍落ちに「俺も落とせ!」「いや、できない」首脳陣と完全決裂“朝帰り事件”の真相
#6
「何かあったのか、野茂?」「こんなの、考えられません」野茂英雄が激怒! “気遣いできるエース“阿波野秀幸が見た1994年の近鉄「衝撃の事件」
#5
「えっ、嘘だろう」開幕戦で野茂英雄まさかの交代にクローザー赤堀元之を襲った呪縛「ゼロでいかなきゃ」…1994年の近鉄の歯車はこうして狂い始めた
#4
「ノーノーあるあるなんです」1994年開幕戦・清原和博の打球に守備陣が思わぬ反応!? それでも野茂英雄なら「ここで三振で終わり」のはずが…
#3
「ちょっとヤバいな」野茂英雄の開幕戦大記録を西武も覚悟したそのとき…先制弾の近鉄4番・石井浩郎が耳を疑った言葉「何を言っているんだ!」
#2
「開幕戦は野茂と心中や」1994年“史上初の快挙”へ快投を続ける野茂英雄に鈴木啓示監督が寄せていた“信頼”と“不満”…「もっと走らなアカン」
#1
「この話で喜ぶ人はいない」が…野茂英雄メジャー挑戦30周年の今だから“真相”を関係者に訊く!「1994年の近鉄」野茂ラストイヤーに何が起きていたか

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