革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
鈴木啓示と野茂英雄はなぜ反目したか…「お互い年取ったな」心の広い男・鈴木監督を一方的に断罪したくはないが「今は取材はしんどいのと違うか」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKYODO
posted2025/06/13 11:06
他紙の記者に「やり過ぎやな」とたしなめられるような記事を出していた筆者にも、鈴木啓示監督は悠然としていたが……
監督の座と引っ掛けた言葉のお遊びだが、現役時代通算317勝のレジェンドに対して、番記者1年目の若造の、その“おちょくり度合い”は、振り返ってみると、ちょっと冷や汗ものだ。当時の近鉄広報は元投手の小野坂清。常に温厚で、選手たちも小野坂に呼ばれたなら、記者の取材に必ず応じてくれるという、まさに信頼感抜群のベテラン広報だった。
その小野坂に、笑いながら忠告されたこともあった。
「他のチームの広報に『サンスポの記者、まだ出禁にしてないんですか』って言われたぞ」
それでも鈴木監督は悠然としていた
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きっと、鈴木だって快く思っていなかったはずだ。それでも、私が書いた一連の原稿に関し、鈴木から直接抗議をされたり、取材拒否をされたりするようなことは一度もなかった。監督を退任した後も、どこで会おうとも、こちらが『監督』と呼び掛けると、無視されるようなことも皆無。グラウンドを離れたら、心の広い、悠然とした方だった。
ただ、監督としてのマネジメントには、ルーキー記者だった私にも「なんで?」という疑問が浮かぶケースも、多々あったのは確かだ。
あれから、30年という長い月日が経った。私にも「監督・鈴木啓示」に、その振り返りをできるだけの質問力も、野球を見る目もついた自負はある。
今回の連載では、監督に話を聞かせてもらおう。
そう心に決め、鈴木の携帯電話の番号を先輩記者から確認し、何度か電話を鳴らした。しかし、全く応答がなかった。
取材依頼のお願いを留守電に入れ、ショートメッセージでも送信した。
それでも、一向に連絡がつかない。やっぱり、取材となれば気に入らんのかな……と思ったりもした。しかし、絶対にそういう度量の狭い方ではない。断るにしても、きっと直接、自分の言葉で「すまんな」と連絡してくれるような方だ。
鈴木の身に何が…
そこで、評論家として長く所属している新聞社の先輩に近況を尋ねてみた。すると、思いも寄らぬ“返答”があった。

