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「すべてが完璧だった」クロワデュノールの日本ダービー“現地ウラ側”…38歳の苦労人・北村友一はなぜ“泣かなかった”のか? 会見後に見た、ある光景
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島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa
posted2025/06/02 17:02
堂々たる横綱相撲で後続を振り切り、日本ダービーを制したクロワデュノール。鞍上・北村友一とともに皐月賞の雪辱を果たした
北村友一に涙はなく…会見後に見た、ある光景
北村は、その斉藤調教師が管理したクロノジェネシスで2020年の宝塚記念と有馬記念を優勝。翌2021年に結婚と、公私ともに充実していたとき、アクシデントに見舞われた。21年5月2日のレース中に落馬し、肩甲骨や椎骨などを骨折する重傷を負い、実戦復帰まで1年1カ月ほども要したのだ。
復帰後初のGI勝利が、クロワデュノールによる昨年のホープフルステークスだった。
「こうして勝ったから言えるのかもしれませんが、すべてここに至るまで、ひとつひとつの積み重ねで、ひとつひとつに意味があったように感じます。クロワデュノールと縁があったことも、本当に全部つながっているんだな、と」
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苦しみを乗り越え、ようやくつかんだダービーの栄光だけに、感極まるものがあるのかと思いきや、本人は淡々としている。インタビュアーは、落馬負傷のことや、療養中にクロノジェネシスの引退式に駆けつけたことなどを引き合いに出して泣かせようとするのだが、声を震わせることもなければ、目を赤くすることもなかった。
共同会見が終わってから、親しい関係者に「なんで泣かないんだよ」と笑いながら声をかけられても、真顔でこう応じる。
「いや、クロワデュノールが勝ってよかったとしか思わないから」
本心でそう思っているのだろう。
確かに北村は「ダービージョッキー」になったのだが、彼自身の感覚としては「ダービー馬クロワデュノールの主戦騎手」にほかならず、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「もっともっとクロワデュノールという名前が世の中に知れ渡ってほしい。ぼく自身は、大きな経験をさせてもらったことを、これからのジョッキー生活に生かしていきたいと思います」
きっと、これも北村流の「人馬一体」で、クロワデュノールと一体だからこそ、自分だけを「ダービージョッキー」と馬から切り離して表現する気になれないのだろう。
「クロワデュノールはここで完成ではない。まだまだ伸びしろをすごく感じています」
次は、どの舞台で、どんな人馬一体の走りを見せてくれるか。それが凱旋門賞になるのかどうかも含めて、楽しみに見守りたい。


