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「この勝利をニッポンの皆様に捧げます」デムーロが涙した2011年ドバイワールドC【ヴィクトワールピサの激走】
posted2021/03/27 11:00
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
中京競馬場の芝1200メートルを舞台にしたGI、高松宮記念が今週末に行われる。その約半日前、ドバイで行われるのがドバイワールドカップデーだ。ダート2000メートルのドバイワールドC(GI)を筆頭に、様々なカテゴリーのGIがアラブ首長国連邦・ドバイのメイダン競馬場で行われ、日本馬も多数挑戦。世界中のホースマンから注目されるミーティングだ。
おりからの新型コロナウィルス騒動の関係で昨年は開催そのものが中止になったため、2年ぶりの施行となるわけだが、メインとなるドバイワールドCを過去に唯一制した日本馬が、ヴィクトワールピサだ。それは今から丁度10年前。忌まわしいあの厄災の直後の事だった。
角居師「競馬のために海外へ行って良いのか…」
2011年3月24日。ドバイの中心街にあるイタリアンレストランで、私はミルコ・デムーロ騎手と共に食事をした。この年、彼がドバイワールドCで騎乗する馬こそがヴィクトワールピサだった。決戦は2日後。現在は通年免許を取得して日本をベースに乗るイタリア人ジョッキーだが、当時はまだ通年免許の制度はなく日本の競馬に参戦する際は短期免許を取得する形が基本。ただし、ドバイでの開催となるとJRAの管轄下ではないため、スムーズに騎乗が決定したのだ。食事の席でデムーロ騎手は言った。
「今朝の追い切りは良い感じで動いてくれました。ヴィクトワールピサの良い時は常歩からしてリズムが違います。今回はとても良い感じだったので好調だと思います」
更に、続けた。
「“あれ”はイタリアでもテレビで流れるニュースになっていました。日本の皆さんのためにも勝って良い報告をお届けしたいです」
“あれ”とは、この約2週間前の出来事。日本列島を震わせた“東日本大震災”を指していた。
「日本中が悲しみに打ちひしがれ、大変な事態になっている今、競馬のために海外へ行って良いのか、悩みました」
そう語ったのはヴィクトワールピサを管理していた角居勝彦調教師(当時)だ。悩みに悩んだが、最終的には「日本に朗報をお届けできれば……」と越境を決断。逆に言えば「勝たなければいけない」という気持ちで自らを奮い立たせての渡航となった。