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「日本でいちばん大きい種馬です」ウインバリアシオンは“青森”の救世主になれるのか?「ダメならダメで、とりあえず声をかけてみよう」

posted2025/06/02 17:00

 
「日本でいちばん大きい種馬です」ウインバリアシオンは“青森”の救世主になれるのか?「ダメならダメで、とりあえず声をかけてみよう」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

スプリングファーム(青森県十和田市)の佐々木拓也氏とじゃれあうウインバリアシオン

text by

江面弘也

江面弘也Koya Ezura

PROFILE

photograph by

Keiji Ishikawa

 戦後、ダービー馬を何頭も生み出した青森を、もう一度盛り上げたい。そんな熱い思いを胸に、小さな牧場を営む一人の男が立ち上がった。復活への主役として迎えたのは、オルフェーヴルと名勝負を演じた大型馬。人馬はいかにして出会い、産駒が天皇賞に出走するまでに至ったのか。
 発売中のNumber1120号に掲載の[三冠馬に敗れた救世主]ウインバリアシアオン「青森復興の夢を託して」より内容を一部抜粋してお届けします。

「日本でいちばん大きい種馬」

 青森県東北町、荒谷牧場。ここに2011年のダービー2着馬ウインバリアシオンがいる。場長の荒谷栄一さんに引かれて馬房から出てきたウインバリアシオンは背が高く、雄大な馬体をしていた。体高は173cmもあるという。

「日本でいちばん大きい種馬です。キタサンブラックよりも1cm高い」

 誇らしげに言うのは、ウインバリアシオンを所有するスプリングファーム(青森県十和田市)の佐々木拓也さんである。

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 ウインバリアシオンが青森にきたのは'15年の春だった。天皇賞12着のあと左前脚の浅屈腱不全断裂を発症、競走馬生命を失った。翌日、「引退して種牡馬になる予定で、繋養先は未定」とJRAから発表された。この報道に飛びついたのが佐々木さんたち青森県軽種馬生産農協青年部だった。

 戦後、青森は日本の競走馬生産の中心地だった。1957年から'59年の3年連続を含め、7頭のダービー馬が青森から誕生している。その青森の馬産はいま、見る影もなく衰退してしまった。ヒカルメイジなど2頭のダービー馬を出した盛田牧場、'62年のダービー馬フエアーウインの浜中牧場も閉鎖を余儀なくされた。最盛期には200を超えていた牧場は2024年現在で28まで減り、登録された繁殖牝馬は136頭(うちアラブ2頭)、種牡馬は11頭である。

「どうしたら青森の馬産を復興できるか」

 軽種馬生産農協青年部のメンバーが話し合って出た答えが新種牡馬の導入だった。佐々木さんは言う。

「それまでは、北海道でだめだった種牡馬が青森にきていた。それではだめだ、いまの青森に必要なのは新種牡馬だということになったんです。新種牡馬は可能性が無限にありますから」

ダメもとで、種牡馬としてオファー

 しかし、現実は厳しい。血統も成績もいい馬はみんな北海道に行ってしまう。人も馬も圧倒的に数が足りない青森では、いい種牡馬を買う資金もすくない。そのときにウインバリアシオンの記事を見た。

【次ページ】 ダメもとで、種牡馬としてオファー

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