マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER

東京六大学野球で史上25人目“ノーノー達成”早大・伊藤樹(21歳)とは何者なのか?「最初から最後まで150キロで押せる投手じゃない。でも…」 

text by

安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

PROFILE

photograph bySankei Shimbun

posted2025/05/26 06:00

東京六大学野球で史上25人目“ノーノー達成”早大・伊藤樹(21歳)とは何者なのか?「最初から最後まで150キロで押せる投手じゃない。でも…」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

東京六大学野球で9年ぶりとなるノーヒットノーランを達成した早大4年の伊藤樹。その老獪なピッチングはいかにして作られたのか

 うわべだけの強がりや、吠えて相手を威嚇するような空虚な威勢の良さなど、その頃から一度も見たことはない。

 いつも正直で、ありのままの自分を表情ににじませながら、いつもコツコツ、コツコツ……地道に努力しながら、ジワジワッと少しずつでも確かなスキルを獲得していく姿が、東北人の端くれ(仙台生まれ)の私が見ても、「ああ、東北人だなぁ」と思わせてくれる場面に、その後、何度も出会ったものだ。

 何度も足を運んだ仙台育英高のグラウンドで、早稲田大に進んでからは、学生ジャパン候補合宿の松山や平塚で、ちょっとした立ち話。

ADVERTISEMENT

 痛いとこ、ないか?……ぐらいで始まって、ほんの数分。

 それでも、お互い本音ベースの言葉のやりとりだから、印象に残る。

仙台育英高時代から…波乱万丈

「一人で背負っていくのは、たいへんですよ」

 二本柱で仙台育英投手陣を担っていた「もう一本」が突然退学して、大ピンチ到来だった高校3年の春。

「たいへんですよ」は、「たーいへんですよ」と聞こえていた。

「まあでも、一生懸命努力していれば、なんとかなると思うんで」

 そういう時だからこそ、「オレが!」なんて気負いを、軽々しく口に出したりしない。その代わり、やんわり微笑んだその目の中には、確かな光が見えていた。 

 いつも淡々、いつも飄々。そんなエースはいかにして生まれたのか。

<次回へつづく>

#2に続く
東京六大学野球“9年ぶり”ノーヒットノーランはなぜできた? 偉業達成の早大エース…ベテラン記者が見た快挙のワケは「高校時代の2倍」の太モモ?

関連記事

BACK 1 2
#伊藤樹
#早稲田大学
#仙台育英高校

大学野球の前後の記事

ページトップ