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「寝る時間がほぼなくて」宮部藍梨が明かす米留学時代…高2で代表デビュー後、Vリーグでなくアメリカの大学を選んだワケ「卒論をずっと書いていた」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
posted2025/02/04 11:01
大好評シリーズ動画「Number Volleyball Night」でバレーボール女子日本代表元キャプテン荒木絵里香(左)が宮部藍梨に迫った
宮部 日常会話は大丈夫でした。完璧に話せなくても周りが「理解してあげよう」と接してくれるので、そういう環境にいられたというのはラッキーでしたし、アメリカにも英語が堪能ではない人がたくさんいて、完璧を求められていないことも加味すると生活は普通に大丈夫でした。でも授業になると、敬語などはないですけれど専門用語が出てくるし、人とざっくばらんに話すような内容は教科書には出てこない。授業ももう少し難しいレベルになってきていたので、しっかり予習しつつ、分からないことは周りに聞いたり助けてもらいながら勉強していましたね。家庭教師ではないですけど、教えてくれるサポート体制が大学の体育学群であったので、週に4時間とか数時間はその人に教えてもらって勉強してって感じでした。
荒木 練習と大学と課題と言語習得と、ハードワークな日々だったわけですね。
宮部 そうですね。編入したミネソタ大学は4年生大学だったので、勉強のレベルがすごく上がりましたが、内容はとても面白かったので悔いは全然なかったですけど、まあ大変でした。大学で2年、大学院で1年学んだのですが、4年生時には卒論を書きました。卒論は1年かけて書くのではなく、1セメスター(学期)で書ききるんです。それがめちゃめちゃ大変でした。しかも私の場合、翌年には大学院の卒論を書いたので2年連続となり……大学院の卒論を書ききっていない状態で卒業しました。そして、大学院を卒業してすぐ日本代表の合宿に行ったため、薩摩川内での合宿中にオンラインで授業を受けたり、卒論をずっと書いていました。
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荒木 えええっ!
宮部 それで、(マネージャーの)宮崎さとみさんがたまに会議室にガチャって来て、「そろそろ寝なよ」って声かけてドアを閉めていかれたり、朝も4時とかに起きて、時差に合わせて授業にオンラインで出ている状態だったので。ちょっと大変でした。
荒木 そうだったの⁉
宮部 代表でプレーしながら、卒論を書いて、授業に出て、みたいな時も一瞬ありました。最後のラストスパートだったのでできましたけれど、それがもし1学期とかあったらたぶん無理でしたね。
荒木 す、すごいね。そんなことがあったのね。
宮部 実はありました。
元アメリカ代表監督から受けた刺激
荒木 それでそのミネソタ大のバレー部はヒュー・マッカーチョン監督、元アメリカ代表の監督さんだったのですよね。彼のもとでバレーを学んで、日本とアメリカのバレーの違いや、そこで受けた刺激はどんな感じだったのでしょうか。ぜひアメリカの大学バレーについても聞かせてください。
宮部 一番大きな違いというと、大学レベルでもチーム内でのルールなどがすごくシステム的でしたし、ヒューはとにかく人格者で……。
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