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「当時は生きるか死ぬか」竹下佳江に大バッシングも…伝説リベロ津雲博子(55歳)が明かす“女子バレー歴史的敗退”「息子のドラフト報道で何度も当時の映像が…」
posted2025/12/12 11:06
シドニー五輪最終予選で敗退し、五輪連続出場記録が途絶えた2000年。リベロ津雲博子(手前)らは試合後に号泣した
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Sankei Shimbun
「世界一のリベロ」と称され、バレーボール女子日本代表でも活躍した津雲博子(55歳)。今秋、仙台育英高校のエースとして甲子園で活躍した息子・吉川陽大がドラフト候補に名を連ねたことで再び彼女に注目が集まった。波瀾万丈なバレーボール人生と、子育て秘話を明かした【NumberWebインタビュー全3回の2回目/第3回も公開中】
五輪を逃して大バッシング
「あの時は、人間不信になりました」
バレーボール女子日本代表で、かつて“伝説のリベロ”と称された津雲博子には忘れることができない大会がある。
2000年6月17日に開幕した、シドニー五輪最終予選だ。
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出場は8カ国。上位3カ国とアジア最上位、あわせて4カ国が五輪出場権を獲得するレギュレーションだった。いうまでもなく、1戦1戦の勝敗だけでなく、1セット、1点の違いが運命を分けるシビアな戦い。ましてや1964年大会から正式採用されて以降、“東洋の魔女”と世界から恐れられた時代もあるように、バレーボールは日本のお家芸でもある。負けることなど許されない。大きなプレッシャーを背負う中、津雲らが名を連ねた日本代表は初めて五輪出場を逃してしまう。
強豪・中国が1999年ワールドカップで五輪出場権を得られず、最終予選に回ったためアジア枠の争いが熾烈になっていたこと。五輪出場を懸けた一戦で、クロアチア代表のエース、バーバラ・イエリッチが素晴らしいパフォーマンスを発揮したこと。目論見と異なる誤算はいくつもあった。だが、残ったのは「負けた」という事実だけ。
泣き崩れ、抱えられながらコートを去る選手たち。敗戦の責任は容赦なく彼女たちに向けられた。特に身長159cmのセッター、竹下佳江は大バッシングにさらされた。津雲の言葉からも、さまざまな後悔が伝わってくる。

