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「不快に思った写真もありました」ビーチバレーの水着に“選択肢がなかった”頃の本音…ビーチの女豹と呼ばれた浦田聖子を救った「出産と部活指導」
posted2025/03/17 11:03

「ビーチの女豹」の愛称で親しまれた浦田聖子さん
text by

吉田亜衣Ai Yoshida
photograph by
Kazuaki Matsunaga
ロンドン五輪出場に夢破れて以降、浦田聖子は膝のケガに悩まされながらも外国人や若手など様々な選手とペアを組み、現役を続けていた。その後、2016年1月にビーチバレー男子元日本代表の庄司憲右との結婚を発表。同年9月に出産し、一児の母となった。
「今でもたまに、覚えてくださっている方に『ビーチの女豹』と言ってもらえることもあるので、ヒョウ柄にしてよかったな、と思いますね。一緒にアイデアを出し合って実現してくれたスポンサーさんやそのときのパートナーにも感謝ですし、それぞれの水着に思い入れがあります」
水着以外の選択肢がなく「不快に思った写真も…」
昨今、女子選手のユニフォームは自由化が進んできたが、浦田の現役時代は水着しか選択肢がなかった。
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「水着は嫌じゃないの? とよく聞かれました。デビュー当時は、少し大きめの水着を着ていたときもあったんですけど、海外の選手たちが強く逞しいボディに小さめの水着をまとう姿を見て、『これ(大きめの水着)じゃないな』と自然に思うようになりました。私自身は水着にまったく抵抗はなかったんです。ただ、取り上げていただいた記事の中には不快に思った写真もありました」
浅尾美和の登場によりビーチバレー界がフィーバーしたのは、2000年代後半。当時はまだSNSは広くは普及していなかった。週刊誌などのグラビアに取り上げられることがあったが、その中には、身体の局部をクローズアップするようなスポーツ報道にはほど遠い切り口のものもあった。
「それを仲間内から『こんなのあったよ』と見せられたときは、大きな衝撃を受けました。でもそこで『これひどいんですよ』と周囲に訴えると、その写真を見る人を増やしてしまうし、さらに出回ってしまうんじゃなかと思うと言えなかった。ビーチバレーを取り上げてもらえるのはよかったんですけど、そういうのは自分の中でもう無かったことにしよう、と」