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「中吊りに自分の顔があって…」メグカナに憧れた少女が“春高ヒロイン”になれた理由…二見梓が振り返る「悔しい思い出しかない」高校時代
posted2025/02/05 11:00

大和南高校で春高バレーの舞台でも躍動した二見梓さん
text by

吉田亜衣Ai Yoshida
photograph by
L)Takuya Sugiyama、R)AFLO
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1月12日に幕を閉じた「第77回春の高校バレー」(以下・春高)。全国の排球児たちが日本一の座をかけた熱戦は、1カ月弱経った今でもその余韻がほのかに漂っている。
春高は古き時代から日本を代表する名プレーヤーを数多く生み出してきた大会。2009年の第40回大会で注目を浴びた二見梓もその一人だ。春高ヒロインとして輝きを放った二見がバレーボールを始めたのは中学生になってからだった。
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「テレビをつけた時にちょうどバレーボールのアテネ五輪最終予選が映し出されて、『これだ!』と思いました。当時、楽器や他のスポーツもやっていたんですけど、自分の身長、体格を生かせるのはバレーボールしかないと思いました。大山加奈さん、栗原恵さんらが格好よくて私もバレーボールがやりたいと思いました。『日本代表になる』と言っていて、やったこともないのに今思うとすごい野望だなと(笑)。中学では運動神経のいい友達を誘ってバレー部に入りました」
テレビでの注目「恥ずかしい気持ちのほうが…」
その野望は、現実味を帯びてくる。階段を駆け上がるようにして神奈川選抜、中学生の日本代表メンバーにも選出。憧れだった『日の丸』も手にすることができた。高校は県内でも有数のバレーボール強豪校・大和南高へ進学した。
「選抜に選ばれた選手は、金の刺繍の入った日の丸のジャージをもらうんです。絶対に無くせないし、ユニフォームを着るたびに痺れるような緊張感はありました。技術は伴ってなかったと思うんですけど、ただ本当に身長が高いという理由だけでやってきたなと思います。高校の練習は厳しかったし、通学も片道2時間以上かかるほど遠かったんですけど、バレーボールは好きだし目標に向かって進むというプロセスがあったので頑張れました」