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「まさか、梶谷があんな選手になるなんてな」元コーチも驚いた18年のプロ生活…引退表明のDeNA→巨人・梶谷隆幸(36歳) 入団同期が見た“激動の日々”
text by
高森勇旗Yuki Takamori
photograph by筆者提供
posted2024/11/03 11:03
2006年の横浜入団会見に臨む筆者(左)と梶谷隆幸。「ケージが打球から出なかった」梶谷がプロの世界で18年も活躍できたワケは何だったのだろうか
「実は、球団は俺に来年を用意してくれてたんよ。CS前に二岡(智宏)さんから、『来年に向けてまた体を作っておいてくれ』って言われてさ。でも、俺は引退を決めていたから、その時初めて打ち明けた。こんな体で、こんな状態の俺を、来年も戦力として考えてくれていたことは、驚きもあったけど、ものすごく嬉しかった」
2024年、4年振りのリーグ優勝を果たしたジャイアンツであったが、クライマックスシリーズでは勢いに乗る横浜DeNAベイスターズに敗れ、日本シリーズ進出とはならなかった。課題は、打力。梶谷の打力は、来季の貴重な戦力として計算されていた。しかし、一度気持ちが切れてしまったものが、グラウンドにいるべきではないという梶谷の決意は変わらなかった。それでも、梶谷の培ってきた経験はチームにとっての財産である。球団はコーチのオファーを出した。
「ありがたいお話もいただいた。でも、俺にとってコーチって、万永さんなんよ。今、俺は当時の万永さんの年齢になった。来年から18歳のルーキー相手に、万永さんが俺たちに向き合ってくれたあの熱量で、あれだけの多くの時間向き合えるかと問われたら、とてもできない。その足りない熱は、どこかで選手に見抜かれる。それは、人生を賭けて勝負しようとしている選手に、失礼。だから、俺はコーチを受けられなかった」
「まさか、あの梶谷がなぁ」
「長い間野球界にいるけど、梶谷だけは、見間違えた。まさか、梶谷があんな選手になるなんてな。あの、ケージから打球が出なかった、梶谷がなぁ」と、会うたびに語るのは、田代氏だ。
18年前、高卒ルーキーの梶谷は、誰が見てもプロのレベルではなかった。
類まれな身体能力と言っても、そのレベルはプロの世界には掃いて捨てるほどいる。猛練習によって技術を磨き、誰が何を言おうが、決して周りに流されず、染まらず、なびかない、冷静で客観的な視点で、目標と現実に向き合い続けた。逃げない、言い訳をしないという強い決意で、指を骨折していてもホームランを打った。
体の力が強く、足も速いため、常にケガと隣り合わせの野球人生。骨折6回、手術は5回、注射は数え切れないほど打ってきたが、それらをはるかに上回る感動を野球ファンに届けてきた。
最後は、肩も回らず、膝も曲がらなくなってしまったけど、カジ、もう十分だろう。よくやった。俺も、とてもいい夢を見させてもらった。ありがとう。