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“28歳で日本代表初招集”大橋祐紀とは何者か?「2年間で16カ月離脱」絶望から這い上がった“大器晩成FW”の逆転人生「何歳になっても諦めたくない」
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byGetty Images
posted2024/10/06 11:05
新天地ブラックバーンで得点を重ね、28歳で日本代表に初選出された大橋祐紀。プロキャリア初期はケガに悩まされ、苦しい日々を過ごした
「8カ月、5カ月、3カ月と離脱期間が短くなったので、それは幸いだったかもしれません。膝のケガから復帰した直後は、当たり前ですけど全然しっくりいってなかったんです。でも、2度目の離脱期間にリハビリなどができたので、膝の違和感がだんだん抜けていきました。2度目のケガの肩も、復帰したばかりの頃は転んだときに地面に手をつくのが怖かった。それも、3度目の鎖骨のケガの間にリハビリをして、良くなっていった。そうやってコンディションが戻っていって、プロ3年目で戦えるようになったんです」
「覚醒」ではなかった得点量産の理由
はっきりとした結果を残したのは、プロ5年目の23年シーズンである。キャリアハイとなる13ゴールを叩き出した。開幕直後の3月上旬から5月末までケガで離脱しながら、シーズン後半戦に得点を量産したのだった。
その活躍ぶりには、「ブレイク」とか「覚醒」といった形容詞が使われた。しかし、大橋自身は「何かが大きく変わったわけではないんです」と話していた。
「1年目よりは2年目、2年目よりは3年目と、自分なりに積み重ねてきたものがあって、周りとの関係性が深まって。なおかつ、冷静にやろうというのは今年(23年)はとくに心がけています。自分、自分にならずに、ボールをはたく。難しいことをしないで、点を取るところでパワーを出せるようにしよう、と。これまでと何か違いがあるとしたらそこかな、と思います」
サンフレッチェ広島へ新天地を求めた今シーズンは、7月末までの在籍で11ゴールをマークした。実はここでのパフォーマンスが、日本代表の森保一監督の目に留まったのではないだろうか。
広島では3-4-2-1の2シャドーを担っていた。日本代表も3バックを本格的に取り入れており、2シャドーでは久保建英、南野拓実、鎌田大地らが起用されている。堂安律もこのポジションに適応するが、大橋は彼らよりストライカーの性格が強い。ドリブルで持ち運ぶことも、パスを出すこともできる。ディフェンスの献身性も目を引く。
2シャドーの一角だけでなくCFでもプレーでき、途中出場の交代カードにもなれる。ブラックバーンでのリーグ戦初ゴールも、後半からの出場で決めた。日本代表の主戦術が4-2-3-1から3-4-2-1へ変わってきたなかで、既存のメンバーとキャラクターが被らない選手として大橋がピックアップされたのだろう。