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「ファウルを受けた僕がイエロー!?」問題児FWフッキが明かす“Jリーグ、ムリ事件”の真相「でも日本人にはお礼を…何人かの審判を除いてね」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2024/09/23 11:03

「ファウルを受けた僕がイエロー!?」問題児FWフッキが明かす“Jリーグ、ムリ事件”の真相「でも日本人にはお礼を…何人かの審判を除いてね」<Number Web> photograph by Getty Images

2005年、川崎フロンターレ時代のフッキ。浦和レッズのポンテと競り合う

「いや、そんなことはない。関塚さんは僕が川崎に入団したときの監督でもあり、僕に求めるプレーを明確に説明してくれた。しかし、Jリーグ第2節(注:3月15日のアウェーでのヴィッセル神戸戦)の後半、チームが負けている状況で交代を命じられ、ひどく落胆した。以後、チーム練習に参加する気が失せ、クラブに退団を申し入れた」

――このような状況で、前シーズンに大活躍した東京ヴェルディからオファーを受けて4月に移籍します。ヴェルディではすぐに攻撃の中心を担い、ゴールも記録していましたが、5月10日の大分トリニータ戦(0−2で敗戦)の試合後、テレビカメラに向かって「Jリーグ、ムリ」と言い放った。そして7月25日、ヴェルディを退団してポルトガルの名門ポルトへ移籍します。何があったのでしょうか?

「大分戦では、相手選手に乱暴なプレーをされたにもかかわらず主審にファウルを取ってもらえず、その理由を尋ねただけでイエローカード。それまでの試合でも、似たことは何度もあった。それで、Jリーグの審判の判定に我慢できなくなった。

 そのような状況で、ポルトとアトレティコ・マドリーからオファーが届いた。条件は全く一緒。どちらにでも行けたんだけど、ポルト郊外の小クラブのアカデミーにいた15歳のとき、ポルトの試合を見て『将来、僕もここでプレーする』と心に誓ったことを思い出した。それで、ポルトを選んだ」

日本は僕にとって特別な国。何人かの審判は…

――母国でほとんど実績がなかった18歳のときに日本へ渡り、3つのクラブで3年半の間、プレーしました。19年後の今、日本や日本人、Jリーグに対してどのような感情を抱いていますか。

「日本は、僕にとって特別な国。強い愛着を抱いている。日本で、僕は他人をリスペクトすること、約束事を守ることなど多くの重要な事柄を学んだ。これらは、その後の僕の人生とキャリアにとって非常に役に立った。また、日本ではすべての人にとても良くしてもらった。だから、僕と触れ合ったすべての日本人に深くお礼を言いたい。ああ、何人かの審判は別だけどね(笑)」

 多くの日本人は、彼を“問題児”と思ったかもしれない。しかし、本人は「日本で多くのことを学び、成長した」と考えている。ともかく、22歳となったフッキは、勇躍、ポルトガルへ渡った。この欧州最西端の地で、彼は世界的なストライカーへと飛躍する。〈つづく〉

#3に続く
「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」

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