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「ファウルを受けた僕がイエロー!?」問題児FWフッキが明かす“Jリーグ、ムリ事件”の真相「でも日本人にはお礼を…何人かの審判を除いてね」
posted2024/09/23 11:03
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Getty Images
2005年初め、ブラジルの地方出身の18歳の若者が「日本のこともJリーグのことも、ほとんど何も知らないまま」(本人談)、6カ月の期限付き契約で、川崎フロンターレへ入団した。そんな彼が、「フッキ」という登録名でJリーグで“旋風と騒動”を巻き起こすまで……当時の記憶を聞いていこう。
滅茶苦茶なファウルされるのにイエローは僕に…
――日本は、ブラジルとは言語、文化、習慣、気候、食事などすべてが大きく異なります。適応するまでに、かなりの苦労があったのでは?
「確かに、何から何まで違うよね。でも、川崎の関係者が助けてくれたから、それほど苦労しなかった。一番大変だったのは、当初はC契約で給料が少なく、外食する金がないからいつも自炊をしなければならなかったこと。しっかり栄養を取らないと練習もできないから、料理の仕方を少しずつ覚えていった」
――当時、川崎にはジュニーニョ(※スピード抜群のストライカーで、2004年のJ2得点王で2007年にはJ1得点王)ら優秀なブラジル人選手が3人いて、出場機会は限られていた。
「当時、僕は母国でも実績がほとんどなかったし、外国人枠があったからね。それでも、入団から半年後、川崎が僕の契約を期限付き移籍から完全移籍へ切り替えてくれた。給料が増えたから、生活はかなり楽になった」
――2005年、川崎ではすべての大会を合わせて12試合で3得点。ただし、イエローカード6枚と、FWとしては異常なほど多かった。何があったのでしょうか?
「当時は今と比べると華奢だったけど、日本の普通の選手よりはパワーがあった。僕がDFと競り合ったら、少し体がぶつかっただけで相手が吹っ飛び、全部、僕のファウルになる。イエローカードも出される。あるいは、日本人選手が僕が屈強でなかなか倒れないのを知ると、滅茶苦茶なファウルをしてくる。でも、主審はイエローカードはおろかファウルすら取らない。それで主審に少し文句を言うと、僕にイエローカードが出る……これには、非常にストレスがたまった」
札幌は寒かったけど気持ちよくプレーできた
――でも、そんなあなたのプレーを見て、コンサドーレ札幌(当時J2)が1年間の期限付き移籍のオファーを出した。