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「ファウルを受けた僕がイエロー!?」問題児FWフッキが明かす“Jリーグ、ムリ事件”の真相「でも日本人にはお礼を…何人かの審判を除いてね」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2024/09/23 11:03
2005年、川崎フロンターレ時代のフッキ。浦和レッズのポンテと競り合う
「川崎でもっと試合に出たかったんだけど、翌年も出場機会が増える保証はなかった。それで、札幌からのオファーを承諾した。冬が寒いのには閉口したけれど、夏は涼しくて快適。ここでもクラブ関係者がサポートしてくれたから、気持ちよくプレーできた」
――札幌ではすぐにレギュラー。抜群のスピードと圧倒的なパワーを駆使したドリブルで相手守備陣を引きちぎり、ゴールが見えたらピッチのどこからでも強烈なシュートを放つ。J2ではもちろん、おそらくJ1でも異次元のプレーに選手、メディア、ファンの誰もが驚愕した。どうしてあのようなプレーができるようになったのですか?
「ブラジル時代、クラブのアカデミーでの練習以外にも、親友と個人練習を重ねた。これらの努力の蓄積の賜物だろうね」
ロベカルの蹴り方を徹底的に研究したよ
――左足からの強烈なキック、とりわけアウトサイドでカーブをかけての遠目の位置からのシュートの威力は凄まじかった。あれは、練習すれば誰にでもできるものでしょうか?
「映像でロベルト・カルロスの蹴り方を徹底的に研究した。そして、自分なりに工夫して、強い真っすぐの軌道のキック、足の外側の部分に当ててカーブをかけるキック、無回転でブレたりストンと落ちるキックなどを会得していった。ただ、練習をすれば誰にでもできるとは限らない。才能が必要だ。だから、僕に才能を与えてくれた神様に感謝している」
――だだし、規格外のゴールを量産する一方、札幌でもイエローカードをもらうことが多かった。とりわけ、負けている試合で多くのカードをもらっていた。
「おおむね川崎時代と同じ理由からなんだけど、僕は勝ちたい気持ちが非常に強いことが裏目に出たところもあるのかな。劣勢の試合では平静を保つのが難しい。その点は、自分でもわかっているんだけど……」
――2006年、札幌でJ2で38試合に出場して25得点。07年は東京ヴェルディ(当時J2)へ期限付き移籍し、42試合で37得点。これはJ2の歴代最多得点タイ記録で、ヴェルディのJ1昇格に貢献します。
「札幌で試合に出続け、良いプレーができてゴールもたくさん決めたことが大きな自信になった。どうすれば守備陣を打ち破ってゴールを取れるかを体で覚えたんだ」
「Jリーグ、ムリ」事件…今明かせる真相
――そして08年、満を持して川崎へ戻った。しかし、わずか2試合プレーしただけで、3月末に退団してしまいます。当時の関塚隆監督と折り合いが悪かったのでしょうか?