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「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」

posted2024/09/23 11:04

 
「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」<Number Web> photograph by Valerio Pennicino/Getty Images

2012年、ポルト時代のフッキ。ヨーロッパ戦線でもそのパワーは脅威を誇った

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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Valerio Pennicino/Getty Images

 川崎フロンターレや東京ヴェルディ、ヨーロッパの最前線などで得点とイエローカードを量産した元ブラジル代表FWフッキへの直撃取材が実現。“問題児ストライカー”に当時の裏話を聞いた。〈NumberWebインタビュー/全4回の第3回〉

 Jリーグで選手としてのベースを築いたフッキは、2008年7月末、ポルトガルの名門ポルトへ移籍した。22歳になった直後だった。

J2でのプレーが長くて猜疑心のようなものが

――ポルトからは、推定移籍金1900万ユーロ(約31億円)というJリーグ育ちの選手としては破格の評価を得ました。大きな期待を感じたのでしょうか?

「クラブからは、イエス。しかし、地元メディアや一部のファンからは少し違う反応だった。今でこそ、日本人選手は欧州各地で活躍しており、ビッグクラブに所属する選手もいる。Jリーグのレベルが高いことも、広く認識されている。しかし、当時はそうではなかった。しかも、自分はJ2でプレーした期間が長かったから、『ポルトガルリーグのレベルで問題なくプレーできるのか』 という猜疑心のようなものを感じた。『超人ハルクだかスパイダ—マンだか知らないが、こいつは大丈夫なのか』とからかう声すらあった」

――そのような冷ややかな見方をされて、どう思いましたか?

「もちろん、いい気はしなかった。でも、ジョズアルド・フェレイラ監督(注:経験豊かなポルトガル人指導者)が僕を呼んで、『君が良い選手なのはわかっている。それに、君が世界のどこでプレーしようと、ピッチのサイズは同じ。ボールも変わらない。自分の能力を信じて、思い切りプレーしてくれ』 と励ましてくれた。彼の言葉を心に刻み、雑音をシャットアウトし、プレーをすることだけに神経を集中した」

――ポルトガルでは、日本と違って言葉の問題はないし、文化やメンタリティーの相違も少なかったのでは?

「そうだね。生活面では、すぐに適応できた。このことは、プレーする上で大きな助けとなった」

――ポルトでは、当初は控えでしたが、ほどなくレギュラーに抜擢されました。Jリーグとポルトガルリーグの違いをどう感じましたか?

「ポルトガルリーグには世界中から野心的な選手が集まっており、テクニカルでありながら球際も激しいプレーをする。守備戦術も細かい。だから、僕はJリーグ時代を上回るプレーをする必要があった」

ポルトガル代表からも打診があった

――そのハイレベルなリーグで、最初のシーズンは25試合に出場して8得点9アシスト。まずまずの成績でした。

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