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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「パパは大谷君にホームラン打たれたことあるんだよ」大谷翔平に“日本で一番打たれた男”東明大貴の告白「次の日、僕は二軍に行きました」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySankei Shimbun
posted2024/07/18 11:20
2016年5月11日、オリックスの東明大貴からホームランを放った日ハム時代の大谷翔平。東明にとって、この被弾が野球人生のターニングポイントとなった
気になった東明は、すぐにインターネットで調べはじめた。大谷が日本ハムでプレーした5年間で架けたアーチは48本。東明が打たれたのはそのうちの3本だった。しかも、すべて左翼のスタンドに達したものである。そのときに初めて知った。
「NPBで一番多く打たれた、と出ていました。でも、それも『本当かな』という、イマイチ、僕の方でも情報が多くないので半信半疑で。やっぱり、そうでしたか……」
目の前に置かれた一枚の紙を一瞥し、東明は深くうなずいた。
それは大谷が2013年7月10日の楽天戦で永井怜から打ったプロ初本塁打に始まり、日本ハム時代に放ったすべてのアーチに関する一覧表である。
大谷は歴戦の好投手を打ち砕いてきた。ソフトバンク戦ではエース千賀滉大(現メッツ)のほか、中田賢一(現ソフトバンク投手コーチ)と和田毅から2発ずつ。楽天の則本昂大も餌食になった。そんななか、NPBでだれよりも多く、3本塁打を浴びたのが東明だった。
東明は社会人の富士重工から13年のドラフト2位でオリックスに加入した。最速153km右腕は、ルーキーだった14年に5勝を挙げると、15年には規定投球回に達して10勝をマークしていた。
5歳下の大谷と初めて対戦したのは14年。彼が高卒2年目のシーズンだった。
「打席ではそこまで威圧感はなかったですね。ただ、すごく振ってくるんです。中途半端なスイングがない。ミスが許されないバッターでした」
「打たれた次の日、僕は二軍に行きました」
東明がよく憶えている被弾がある。
「東京ドームでした。レフトフライかなと思った打球が、そのまま入ってしまって。打たれた次の日、僕は二軍に行きました」
16年5月11日は東明の野球人生においてターニングポイントになった。この年は開幕ローテーションに入り、3月30日の日本ハム戦で大谷に高めの速球をとらえられて左中間への本塁打を浴びたものの、シーズン初勝利を挙げた。だが、その後は一度も勝てないまま、この日を迎えていた。
東明と伊藤光(現DeNA)のバッテリーは徹底して大谷の内角を攻めると決めていた。1回。初球は145kmの直球で懐を突き、2球目の143kmをさらに体の近くへ。大谷の腰を引かせる厳しい配球で抑えにかかった。最後は四球で歩かせたが、4球すべてインサイドを攻めた。