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「自分のケツは自分で拭け!」巨人・斎藤雅樹の“更新不可能な記録”11連続完投勝利は藤田監督の“スパルタ教育”から生まれた「僕みたいに未熟な者が…」 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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posted2024/07/15 11:01

「自分のケツは自分で拭け!」巨人・斎藤雅樹の“更新不可能な記録”11連続完投勝利は藤田監督の“スパルタ教育”から生まれた「僕みたいに未熟な者が…」<Number Web> photograph by KYODO

いまから35年前の1989年7月15日、11試合連続完投勝利という偉大なる記録を樹立した巨人・斎藤雅樹

 この記録を樹立した当時の斎藤は市立川口高校からドラフト1位で入団したプロ7年目。3年目の85年に12勝をマークしたが、その後2年間は肘の故障などもあり7勝、0勝とジリ貧の成績で燻っていた。入団当時から天性の打撃、守備センスを買われて内野手への転向案もあり、この頃には当時の二軍監督だった須藤豊からショート転向を勧められたこともあった。しかし斎藤本人は「自分でもピッチャーを諦めかけた時もあったけど、ショートはいつでもできる。ピッチャーは1度諦めたら、そこでもう2度とチャンスがなくなる」と意地を通して投手としての再起に賭けていたのである。

 そんな迷いの最中に出会ったのが、この年から2度目の監督に就任した藤田元司だった。

 斎藤が入団した83年当時も藤田は一軍監督でチームを指揮していた。当時、二軍を視察した際に斎藤を見て、腕の振りと腰の回転がバラバラだったことに目をつけて、「ちょっと腕を下げてごらん」とサイドスローへとフォームを変えさせた張本人も藤田だった。そして2度目の監督になると気弱で先発に向かないと言われた斎藤に「お前は気が弱いんじゃなくて、優しいだけなんだ」と諭し先発で起用した。

「もちろん11連続完投勝利を達成したヤクルト戦も記憶に残っていますが、僕にとって一番印象に残っている試合は記録がスタートした大洋(現DeNA)戦なんです」

 斎藤からこんな話を聞いたことがある。

藤田監督流の“スパルタ教育”

 5月10日に横浜スタジアムで行われたこの試合が、なぜ強烈に斎藤の心に残っているのか。

 理由は2つあった。

 1つはこの試合で先発を命じられた経緯である。実は斎藤はこの3日前の広島戦で先発したが2回も持たずにノックアウトを喰らっている。そして大洋戦の先発はその試合後に決まったものだったのだ。

「実は以前に広島戦で先発してノックアウトされた直後に、当時の王監督からそのままファーム行きを命じられたことがあったんです。それがトラウマのようになって、あのときも広島戦の先発と言われて、失敗したらダメだ、打たれたら二軍に落とされるっていう気持ちが強くあった」

 そのプレッシャーから、またも無様なKO降板を喫したわけだ。しかし藤田の“懲罰”は二軍降格ではなく、3日後の試合で先発することだったのである。

 斎藤を何とか一本立ちさせたいという藤田流のスパルタ教育だった。

 そして斎藤が強烈にこの大洋戦を記憶する2つ目の理由は、最大のピンチを切り抜けた場面での出来事である。

 この試合は7回まで4対1と巨人が3点をリード。だが8回に斎藤は無死満塁と絶対絶命のピンチを招いてしまう。

「あの時は自分の頭には完投のかの字もなくて、とにかく勝ち星が欲しかっただけ。だからピンチになると弱気の虫が出てきて、リリーフの人に任せた方がいいと……」

ピンチで聞いた「まったく逆の言葉」

 塁が埋まると斎藤は三塁ベンチに盛んに視線を送った。「交代させてください」その視線を感じ取った藤田がゆっくりベンチを出てきて、マウンドにやってきた。だが、そこで藤田から斎藤が聞いたのは、思いとはまったく逆の言葉だったのである。

【次ページ】  ピンチで聞いた「まったく逆の言葉」

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