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「自分のケツは自分で拭け!」巨人・斎藤雅樹の“更新不可能な記録”11連続完投勝利は藤田監督の“スパルタ教育”から生まれた「僕みたいに未熟な者が…」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2024/07/15 11:01
いまから35年前の1989年7月15日、11試合連続完投勝利という偉大なる記録を樹立した巨人・斎藤雅樹
「自分のケツは自分で拭け!」
続投である。
斎藤は4対3と1点差まで詰め寄られたが、代打の加藤博一を一直併殺に打ち取ってピンチを脱出。9回は三者凡退に退けて、記録へのスタートとなる完投勝利を挙げたのだった。
もしあそこで斎藤が願ったようにリリーフへとバトンタッチしていれば、この大記録は生まれなかったということなのだ。
藤田の決断、そしてその決断に背中を押されて覚悟を決めた斉藤の力投。この2つがあったから大記録は作られたと言っても過言ではない。
「平成の大エース」への道
この1勝から斎藤は「平成の大エース」への道を歩み始める。
89年シーズンの斎藤は30試合に先発して21完投、7完封、4つの無四球試合を達成して初の20勝(7敗)で最多勝と最優秀防御率(1.62)のタイトルを獲得した。
現役生活19年で通算426登板180勝96敗、113完投で40完封を記録。最多勝利5回(セ・リーグ最多)、最優秀防御率3回、最高勝率3回(同最多タイ)とタイトルを獲得し、沢村賞を3度受賞(プロ野球最多タイ)して2016年には野球殿堂入りを果たしている。
そんな斎藤の野球人生の中で、巨人の球団史に貢献した最大の舞台は、1994年の10月8日、シーズン最終戦で中日と同率対決の末に優勝を決めた「10.8決戦」でのピッチングだった。
「斎藤の守備力に賭けた」
巨人が2点を先制した直後の2回裏の中日の攻撃。先発の槙原寛己投手があっさり同点に追い付かれ、なお無死一、二塁のピンチで緊急登板したのが斎藤だった。
打席は9番の今中慎二投手で100%送りバントが想定される場面だった。
「槙原の状態が良くなかったことはもちろんだが、あそこは斉藤の守備力に賭けた」と語っていたのは、当時の投手コーチの堀内恒夫である。内野手転向を検討されたほどの守備での身のこなしの良さを買って、何とか送りバントで走者を三塁に進めさせるのを阻止する。ベンチのその要求に応えて、斎藤は今中の正面へのバントを素早く処理して二塁走者を三塁で封殺。中日の走塁ミスもあり、後続を絶ってこの回を同点のままで凌ぐと、直後の3回に落合博満内野手の適時打が飛び出して再び勝ち越し。そして4回にも2本塁打、5回には松井秀喜外野手のソロも飛び出して、一気に流れは巨人へと傾いていく。