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「五輪落選の逸材→W杯日本代表」大迫勇也に柿谷曜一朗、鎌田大地と伊東純也…実は多い「(三笘)薫が活躍したので」東京世代だと誰?
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byTomoki Momozono,JIJI PRESS
posted2024/07/03 11:02
世代別代表時代の大迫勇也と鎌田大地。五輪には選ばれなかったものの、W杯や海外リーグで大きな実績を残した
FIFAが代表チームによる選手の拘束を認めなかったため、欧州でプレーする選手の招集が容易ではなくなったのだ。これは、東京五輪や今回のパリ五輪でも引き続き課題となっており、チーム編成に大きな影響を与えることとなる。
リオ世代で泣かされたのが、久保裕也だ。欧州でプレーしていた南野や浅野と同じく、当初は彼の派遣も所属元ヤングボーイズから了解を得ていたが、直前になってクラブで負傷者が発生し、招集を拒否されてしまった。
またオーバーエイジ枠で起用を狙った清武はセビージャへの移籍が決まったため断念。結局、DF陣の主力だった山中亮輔と奈良竜樹の怪我もあり、オーバーエイジは2枠をDFに充てて国内から藤春廣輝と塩谷司を招集、もうひとりも国内の興梠慎三となった。
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ドタバタのままブラジルに乗り込んだ五輪代表は、3試合で7ゴールを挙げたものの、1勝1分1敗でグループステージ敗退。それでもメンバーから中村航輔、植田直通、遠藤航、大島僚太の4人を2年後のロシアW杯へ、遠藤と南野、浅野をカタールW杯へ送り出した。
だが、中村や植田、大島がA代表の主力とはなれない一方で、リオ落選組が次々と存在感を増してきたのは、実は現在の森保ジャパンなのである。
伊東純也と鎌田大地は五輪落選→カタールW杯出場
例えば、伊東純也。大学経由の遅咲きアタッカーは、15年に甲府でプロデビューすると、16年に柏、19年にはヘンクへと早足でステップアップ。その間、17年にデビューした日本代表でも、カタールW杯のアジア最終予選でスタメンに定着している。
年少ながら同じ15年に鳥栖に加入した鎌田大地は、高卒ルーキーイヤーからJ1に出場し、2年目には7ゴール。2年半後の17年夏にはフランクフルトに移籍し、シントトロイデンを経て、昨季はラツィオでプレーした。19年に森保ジャパンで初キャップを記録すると、競争の激しい中盤で瞬く間に定着していった。伊東も鎌田も、カタールで演じたドイツ&スペイン撃破の貢献者として記憶に新しい。
他にカタールでピッチに立った選手では、リオ五輪の時点で大学生だった守田英正や湘南ベルマーレの大卒ルーキーだった山根視来もリオ世代だ。
22人だった東京五輪でも選ばれなかった逸材が
最後に――現在の日本代表の中核を占める東京五輪世代も見ていく。