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《サッカー五輪代表から消えた天才》悲劇は小野伸二や小倉隆史の大ケガだけでなく、少なすぎ18人枠で…名パサーや守護神「逸材の落選後」
posted2024/07/03 11:00
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph by
Koji Asakura
アトランタで涙したのはケガの小倉だけでない
【1996年:アトランタ五輪】
〈アトランタ五輪代表メンバー〉
GK:川口能活、下田崇
DF:白井博幸、鈴木秀人、田中誠、上村健一、松田直樹
MF:廣長優志、服部年宏、前園真聖、伊東輝悦、遠藤彰弘、中田英寿、秋葉忠宏、路木龍次
FW:城彰二、森岡茂、松原良香
バックアップメンバー:GK土肥洋一、久藤清一、松波正信、安永聡太郎
〈代表漏れした主な選手〉
中西永輔、小倉隆史、平野孝、齊藤俊秀、楢崎正剛、三浦淳宏、森岡隆三
アジア最終予選準決勝でサウジアラビアを下し、実に28年ぶりの五輪出場を決めたアトランタ世代。本大会でも初戦でスター軍団ブラジルを破った。第2戦では後に大会覇者となるナイジェリアに敗れるも、3戦目でハンガリーに逆転勝利。惜しくも得失点差で決勝トーナメント進出を逃したが、ドラマチックな戦いぶりは大きな注目を集めた。
とりわけ脚光を浴びたのは前園真聖だろう。
最終予選を前に大怪我を負ったエースの小倉隆史が離脱。この穴を埋めたのがすでにA代表でも不可欠な戦力となっていたドリブラーだった。不慣れな腕章を腕に巻き、同じくA代表入りしていた城彰二や中田英寿と攻撃陣を牽引。出場権を懸けたサウジ戦で自ら2得点、本大会でも2得点を挙げた。
五輪代表の土台となっていたのは、城に加え、川口能活、服部年宏、伊東輝悦ら1992年アジアユースのメンバーだ。彼らをアジアの3位に導いた西野朗監督は、ここに次の年代の若手を加えてアトランタを目指した。中田や松田直樹ら、“世界を知る”面々である。彼らは、93年に日本で開催されたU-17世界選手権(現U-17W杯)に加え、94年アジアユースで準優勝し、自国開催以外で初めて世界大会出場権を獲得。その95年カタールワールドユース(現U-20W杯)でもベスト8に勝ち上がっていた。
五輪後に成長したのは中田や城、川口だけでない
こうして世界に挑み、2勝を挙げたチームに対し、スペインのセビージャが前園の獲得に動いた。だが、これが頓挫すると彼のキャリアは急激に暗転してしまう。