サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
五輪落選史「谷間の世代」長谷部誠や川島永嗣は順当、キャプテン鈴木啓太は発表当日まさか、北京の家長昭博らは30代で…悪夢のち逆転人生
posted2024/07/03 11:01
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph by
AFLO/Toshiya Kondo
アテネ五輪本番では「谷間の世代」の評価を覆せず
【2004年:アテネ五輪】
〈アテネ五輪代表メンバー〉
GK:曽ケ端準※、黒河貴矢
DF:田中マルクス闘莉王、茂庭照幸、那須大亮、菊地直哉、徳永悠平
MF:阿部勇樹、今野泰幸、森崎浩司、小野伸二※、松井大輔、駒野友一、石川直宏
FW:高松大樹、田中達也、大久保嘉人、平山相太
※オーバーエイジ
バックアップメンバー:林卓人、北本久仁衛、前田遼一、坂田大輔
〈代表漏れした主な選手〉
森崎和幸、鈴木啓太、山瀬功治、長谷部誠、川島永嗣
U-17での世界経験がなく、ワールドユース(現U-20W杯)ではグループステージ敗退に終わった“谷間の世代”。すぐ上に黄金世代がいたがゆえに強いコントラストがついてしまったが、彼らを年長とするアテネ世代も、きっちりと予選を突破し、3大会連続の五輪出場を果たしている。
山本昌邦監督がチームの中心に置いていたのは、トルシエが99年のワールドユースに飛び級招集をはかった阿部勇樹のほか、駒野友一、田中マルクス闘莉王、松井大輔、大久保嘉人、今野泰幸ら所属クラブで出番を確保していた面々だ。
ここへ前回五輪に出場できなかった小野伸二と曽ケ端準をオーバーエイジとして加えたが、高原直泰は大会前にエコノミー症候群を再発して参加できず、指揮官の目論見は崩れてしまった。本大会では、決勝まで勝ち上がったパラグアイと銅メダルのイタリアに連敗し、早々にグループステージ敗退が決定。合言葉にしていた「アテネ経由ドイツ行」を果たしたのは、駒野と茂庭照幸の2人だけ。“谷間”の評価を覆すことはできなかった。
しかし、アテネ世代は時間をかけてのし上がり、多くの選手が次の10年W杯でベスト16入りの大躍進を遂げた。本大会出場は阿部、駒野、闘莉王、松井、今野、大久保の6人にのぼる。
発表当日、予選で主将を務めた鈴木啓太の名はなかった
五輪のメンバーリストで多くのファンが驚いたのは、鈴木啓太の落選だ。