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五輪落選史「谷間の世代」長谷部誠や川島永嗣は順当、キャプテン鈴木啓太は発表当日まさか、北京の家長昭博らは30代で…悪夢のち逆転人生 

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生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

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photograph byAFLO/Toshiya Kondo

posted2024/07/03 11:01

五輪落選史「谷間の世代」長谷部誠や川島永嗣は順当、キャプテン鈴木啓太は発表当日まさか、北京の家長昭博らは30代で…悪夢のち逆転人生<Number Web> photograph by AFLO/Toshiya Kondo

アテネ世代の鈴木啓太と、北京世代の家長昭博。それぞれ才能を持つMFながら、五輪とは縁がなかった

 出場機会の多かった青山直晃や伊野波雅彦、柏木陽介のほか、07年アジアカップに出場した水野晃樹などが選考漏れし、最終予選に出ていない長友佑都や森重真人、香川真司らが招集された。

 一方で、オーバーエイジはアトランタ以来のゼロ。大久保嘉人は所属先の神戸との調整がまとまらず断念。遠藤保仁は直前の候補合宿に呼んだものの、ウイルス性感染症を発症してしまい大会メンバーに入れられなかった。

「調子乗り世代」が痛感した海外移籍の必要性

 迎えた本大会の結果は、3戦全敗でグループステージ敗退――。優勝したアルゼンチンを苦しめたオランダや準優勝したナイジェリアと同居する厳しいグループだったことは確かだが、五輪で日本が1勝もできずに大会を去るのは初めてのことだった。

 07年カナダワールドユースの「調子乗り世代」から五輪代表入りした安田理大は、のちに3連敗の衝撃をNumberに語っている。体感したのは、当時は本田圭佑と森本貴幸に限られた、海外移籍の必要性だった。

「悔しいけど世界と戦うには技術、走力、フィジカル、メンタル、全部が足りん。カナダでナイジェリアとやった時よりも差を感じたもん。1年でこれだけ差が開くってことは、この先、もっと広がるかもしれん。守備も攻撃も磨いて自分も海外でやらなあかん。3連敗は、それに気付かせてくれた」

 実際、安田だけでなく、岡崎慎司や内田篤人、長友、香川ら多くの選手が大会のあとで海を渡り、日本代表に欠かせない選手に成長。3連敗に終わった五輪メンバー18人のうち9人が後にW杯出場を果たすまでになる。

未招集の青山敏、家長、興梠はいまだJ1で現役

 振り返れば惨敗後の飛躍が印象的な大会だが、そこから刺激を受けたのは、もちろん出場メンバーだけではなかったはずだ。落選した伊野波と青山敏弘は、揃ってザックジャパンで14年W杯に出場。W杯には届かなかった柏木や森脇良太も、李忠成ら北京組とともに11年アジアカップで優勝を味わっている。

 また、五輪イヤーの2月に大怪我を負った家長昭博は、北京後も代表から遠ざかってしまったが、年齢を積み重ねるにつれてプレーの円熟味を増すと、30代で移籍した川崎フロンターレで大きく花開き、JリーグMVP(18年)を受賞した。

 また興梠慎三は北京後の10月にA代表デビューを果たし、浦和レッズ移籍後に安定して得点を積み重ねて、16年リオ五輪にオーバーエイジとして出場した。そして38歳の家長と青山敏、37歳の興梠と長友ともに今なお現役生活を続け、J1の舞台で存在感を放っている。

 アテネ、北京と2大会連続の憂き目を味わった若き日本代表だが、ロンドン五輪ではベスト4に躍進する。それと同時に若くして世界の舞台へと羽ばたくゆえ、五輪本番への招集という難しい課題も発生することになる――。

つづく

#3に続く
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