近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
ドジャースファンが絶不調・野茂英雄にブーイング、ラソーダは野茂を監督室に呼び寄せた…メジャー1年目の窮地に見た“ラソーダ監督の人心掌握術”
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2024/07/11 11:04
新人王を獲得したメジャー1年目。じつは終盤、爪とマメ、そして不調に悩まされていた野茂。本拠地のファンからブーイングをされた試合後…
フォークでかわす投球からは、ラソーダが振り返ったように、野茂らしさが消え失せていた。打線の奮起で12勝目こそ手にしたが、本調子には程遠い。それでもこの白星で、首位ロッキーズに0.5ゲーム差と迫った。近鉄での5年間、一度も優勝できなかった野茂が、メジャー1年目で初の美酒を浴びる日が来るかもしれない。
日本では、その気運がグッと盛り上がり、トルネードブームが巻き起こっていた。ただ、今のように、30年前はインターネットも普及しておらず、リアルタイムで日本の新聞記事を読めたりしない。だから、アメリカにいると日本の空気が分からないのだ。
「もう、野茂だけやなくてもええんや。ドジャースで、何かないんか?」
ドジャースの優勝旅行、どこなんや?
9月下旬に入ると、会社のデスク(原稿を受け取る上司)からこんな要求が増えた。私が当時所属していたサンケイスポーツ大阪本社は、今と変わらず、何があろうと、勝っても負けても阪神が1面だった。しかし、当時の阪神は「暗黒時代」と呼ばれた低迷期。1995年は球宴前の前半戦終了時に監督の中村勝広が成績不振で休養。二軍監督だった藤田平が監督代行に昇格。そんなゴタゴタ続きの弱い阪神よりも、ドジャースの優勝争いが面白い。もちろん「野茂がいるドジャース」という視点にはなるのだが、日米でブームを巻き起こしていた「トルネード旋風」に乗っかろうというわけだ。
だから、こんな“珍質問”も受けることになる。
「ドジャースの優勝旅行、どこなんや?」
<つづく>