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恩師が「モノで言えば歴代最強」…でも勝てなかった“早稲田のエース”が覚醒のナゼ 山口智規(2年)初の箱根路へ自己評価は「強いっす」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2024/01/02 09:00
2023年は飛躍の年となった早大の山口智規(2年)。日本長距離史上でも屈指のポテンシャルは箱根路で花開くか
山口自身も認めるように、メンタル面に大きな課題を残していた。加えて、ケガも多かった。高校時代の山口は、高1にして5000mで13分台に突入し、3年時には高校歴代3位の好タイムをマークしている。それにもかかわらず、その記録に見合った結果をなかなか残せなかった。インターハイでは1500mで8位入賞を果たしているものの、5000mは予選落ちに終わっている。
早大に入ってからも、良い時にはものすごい爆発力を見せる。しかし、逆もまたしかりだった。
「昨年度に関しては、良い方に出るのか悪い方に出るのか、私も見ていてすごく怖かったです」
花田勝彦駅伝監督は、1年時の山口についてこう話す。
前回の箱根駅伝では、胃腸炎から回復した山口は出場を談判したが、指揮官としてはどうしても走らせるわけにはいかなかった。
「私が現役の時に櫛部(静二、現城西大監督)が体調不良で走って苦い経験をしていたので、山口の気持ちは分かるけど、指導者としてはそういう思いをさせたくなかった。本人は相当悔しくて『納得できない』って何回も言いに来ましたけど、『今回は我慢しなさい』という話をしました」
1991年の第67回箱根駅伝、1年生ながら花の2区を任された櫛部がふらふらになりながらタスキをつないだ場面を覚えている駅伝ファンも多いだろう。その櫛部を戸塚中継所で待っていたのが花田だった。
山口からすれば悶々とした心境だったかもしれないが、花田は大ブレーキを引きずる櫛部の姿を間近で見ていただけに、なかなか成功体験を得られずにいた山口にリスクを負わせたくはなかった。
走れなかった前回大会の悔しさ
前回の箱根を走れなかった悔しさは、山口にとっても飛躍のきっかけになった。
「1月2日に復路も走れないことが決まって、あの時は本当に悔しかった。でも、あの悔しさがあったから、今強くなれているのかなと思います」
悔しさを糧に、まずは弱点の強化から始めた。
トレーナーと相談し、ジャンプトレーニング(プライオメトリクス)やウエイトトレーニングに取り組み始めた。「地面のとらえ方がうまくなり、爆発的な力が出せるようになった」と、その効果を実感している。