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「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令が青学大“ダメダメな1年生”の意識を変えた「甘さを痛感」“弱かった青学大”が箱根駅伝に出るまで

posted2026/01/11 11:26

 
「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令が青学大“ダメダメな1年生”の意識を変えた「甘さを痛感」“弱かった青学大”が箱根駅伝に出るまで<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

青山学院大学の原晋監督。箱根駅伝出場を目指した“黎明期”から、選手の資質や性格を見極める眼力は光っていた

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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Takuya Sugiyama

2026年、箱根駅伝で3年連続9回目の総合優勝を果たした青山学院大学。そんな青学大にも、箱根駅伝への出場さえままならなかった時代が存在した。学生たちはどうもがき、原晋監督は「弱かった青学大」をどう変えたのか。当時の陸上部で選手と主務を経験し、33年ぶりの箱根路となった2009年大会で6区を任された岡崎隼也さんに話を聞いた。(NumberWebノンフィクション/全3回の2回目)

「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令

 原晋体制となって2年目の春。黎明期の青山学院大学はどのようにして強くなっていったのだろう。2005年入学の岡崎隼也さんはこう振り返る。

「僕らの代は基本、箱根を目指そうぜって言われて入ってきている。一つ上の先輩もそうです。だから、モチベーションは高かった。でも、その上になると、私たちより強い選手がいる一方で、部屋にスロット台を持ち込むとか、門限を破るとか、そういった荒れた選手もいました。で、じつは僕もそういった悪ノリに憧れるというか、ちょっと髪を茶色に染めた時期もあって、マジメな同期にはよく怒られてましたね」

 生活面で緩さが出たのは、競技面でうまく行かなかったことが影響したのかもしれない。高校までは中距離選手だったこともあり、1年目は長い距離を走る練習になかなかついていくことができなかった。「実力順にA、B、Cチームがあって、僕はCチームの中でも遅れてしまうくらいの選手。本当にダメダメでした」と語る岡崎さんの転機は、1年目の冬に訪れた。

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 伸び悩む姿を見かねたのか、原監督からこんな指令を授かったのだ。

「なぜか、東洋大で1週間の武者修行をしてきなさいと。同学年からは僕ひとりだけでした。わけがわからないまま、川越にある東洋大の寮を訪ねたのを憶えています」

 当時はまだ、東洋大も予選会と本戦を行ったり来たりする大学だった。しかし、30年近く箱根から遠ざかっている大学との差はあらゆる面で大きかった。岡崎さんはこの1週間の合宿生活を通して、少なからぬショックを受けたという。

【次ページ】 監督への意見もOK「心理的安全性は担保されていた」

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