プロ野球亭日乗BACK NUMBER
川上哲治でも長嶋茂雄でもなく…「巨人史上最多勝利監督」原辰徳の原点は“浪人時代”にあった!「人生経験のページ数が足りない…」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/10/10 17:00
巨人軍を率いて累計17年、9度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた原辰徳監督。今季限りで退任することに決めた
それはまだ小学生の頃のことだ。生まれ故郷の炭鉱の街・福岡県大牟田市は時代の流れの中で廃坑が進み、街全体が沈んでいくような雰囲気に包まれていた。
そんな中で実父である原貢監督が率いる三池工業高校が、初出場で夏の甲子園大会を制し日本一に輝いたのである。
故郷に凱旋した原貢監督以下、三池工業高校ナインは小倉駅から大牟田まで150kmを真っ赤なオープンカーに乗ってパレードした。一団が大牟田の街に戻ってくると、熱狂した市民が待ち構えていた。
1965年8月25日だった。
「あの時の光景だけは忘れられない」
原前監督の目が光っていた。
「一瞬にして暗く沈んでいた街に歓声が溢れ、人々が眩いばかりの光に包まれたようだった。その瞬間に思ったことがあるんですよ」
まだ7歳、小学校1年生の時ことである。
「野球って凄いな。野球にはこれだけ世の中を変える力があるんだ!」
それが原前監督の原風景だったのである。
だから日本中が、いや世界中がコロナ禍で光を失う中で、原前監督はプロ野球が先頭を切らなければならないと思ったのだという。
「野球は日本でも非常に長い歴史を持つプロスポーツじゃないですか。戦争に敗れて焦土と化した中から、川上哲治さんの赤バットと大下弘さんの青バットで野球が人々の復興への希望の火を灯した。高度成長期には王貞治さんと長嶋茂雄さんのONコンビの活躍に夢を乗せて、日本国民は一生懸命に働いてきた。プロ野球はいつもファンと共に、国民と共にあったスポーツなんです。阪神・淡路大震災のときも、東日本大震災のときもオリックスや楽天や地元チームが中心になって、プロ野球がファンと共に活動することで復興へのノロシを上げてきた」
プロ野球の持つ役割の大きさとは…
だからコロナ禍の中でも、決して諦めることなく開幕に向けて進まねばならない。それがあの未曾有のパンデミックに日本人が立ち向かっていくために、プロ野球界が果たさねばならない使命だと考えたのである。