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本山雅志44歳が語った引退秘話…2度目の契約満了→実家の鮮魚店でアナゴをさばく日々→初の海外挑戦「40歳過ぎてやれると思ってなかった」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/08/27 11:06
今年4月にカシマスタジアムで現役引退を発表した本山雅志
「アントラーズのときにミツ(小笠原)が前十字と半月板のケガから復帰して、試合後ひざが腫れあがっていたのを思い出して、これほどのケガが果たして治るのかな、と。復帰まで時間が掛かるし、治っても元のようにプレーできるかどうかも分からない。丸3日考えたんですけど、最終的には現役を続けてサッカーをやりたいという気持ちになりました」
ただ、大幅に出遅れただけでなく、練習に復帰してから今度は右ひざ半月板を損傷して再びメスを入れることになる。2017年シーズンは5試合、翌2018年シーズンは9試合の出場にとどまり、チームがJ2昇格を決める2019年シーズンでは出場ゼロに終わる。40歳となり、アントラーズに続いて2度目の契約満了を受けることになる。
盟友・小笠原も前年限りで引退していただけに、本山に対しても「そろそろ」という見方は多かった。しかし、本人にその思いはまったくなかった。
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「技術があっても走れないとその技術は活かせない。試合が始まって走りで相手を上回って体力を削いでいくことで自分の技術が発揮されていくと思っていますから。ただ、走りで相手を上回ろうとすると、どうしてもケガが多くなる。チームもJ3に落ちてトレーニングはよりハードになっていました。ケガがちになっていた分、ギラヴァンツを退団するなら1年間はメンテナンスで空けたいと思っていました。体の状態を戻して復帰してみて、サッカーが思うようにできなかったらそのときに(引退を)考えよう、と」
実家の鮮魚店を手伝い
本山は一度、サッカー界から離れた。
指導者ライセンスはB級まで保持しているものの、どこかで指導者のアルバイトをするわけでもなかった。本山に関する情報が途切れたのも仕方がない。地元に残って実家の鮮魚店を手伝っていたのである。
「体のメンテナンスをすると言ったって、何もしないのもよくないじゃないですか。今まで親孝行できなかったこともあるし、ちょっとでも家族の力になれたらいいなって思ったので」
朝は何と4時起き。魚市場に赴いてセリで活きのいい魚を仕入れてから、店に戻って包丁でさばく。鮮魚店の子供に生まれながら、実は魚をさばいた経験がなかったという。
「昔、4きょうだいで一番上のお姉ちゃんは家のことをやって、二番目のお姉ちゃんは店を手伝って、3つ年上のお兄ちゃんは包丁を握らせてもらっていた。僕だけ特になかったんですけど(包丁さばきを)教えてもらったら、ハマりましたね。特にアナゴは面白い。時間は掛かっちゃうんですけど、慣れていったら得意になりました。
子供たちを養うために(両親は)40年以上頑張ってくれている。魚で育ててもらったんだからって、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました」
41歳にして海を渡る決意
商品として店の棚に陳列して朝の仕事が終わるのが大体8時半。少し休憩してからトレーニングに出るのが日課になった。