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「寝耳に水。悔し涙を流した」“横浜フリューゲルス消滅の舞台ウラ”元ブラジル代表MFサンパイオが激白「奇跡の優勝? 僕はそう思わない」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/07/30 11:01
横浜フリューゲルスなどで名ボランチとして君臨したサンパイオ。あの「クラブ消滅劇と天皇杯優勝」についても語った
「へええ、それは気が付かなかった(笑)。我々Jリーグ組は日本人選手のことを熟知していたから、やりやすかった」
――翌1996年、ブラジル人のオタシリオ・ゴンサルベスが監督に就任。チーム力が劇的に向上し、3位へ躍進します。
「この年の途中からナラザキ(楢崎正剛)がレギュラーとなり、彼の冷静なプレーが寄与して守備が安定した。僕たちブラジル人は日本人のメンタリティーが理解できていたし、チームメイトのプレーの特徴も頭に入っていた」
フランスW杯でもドゥンガの存在が大きかった
――1997年の成績は6位。あなたは、1998年W杯に招集されました。
「ここでも、ドゥンガの存在が大きかった。1994年W杯でキャプテンを務めて優勝カップを掲げた彼がジュビロ磐田へ入団したことから、セレソンのスタッフはJリーグでプレーする他のブラジル人選手にも注意を払うようになった。そのことが、僕にも追い風になったと思う」
――1998年W杯では、グループステージ(GS)最初のスコットランド戦で先発し、前半5分、左からのCKをニアサイドで頭で合わせた。これが、この大会のセレソン初ゴールでした。
「いつもフリューゲルスで練習していたプレー。練習の賜物だ」
――以後も順調に勝ち進み、準決勝でオランダとの激闘を制して決勝へ進出。ところが、この日の午後、 ロナウドが原因不明のひきつけを起こし、チームが大騒ぎになります。
「僕は、ロナウドとロベルト・カルロスの隣の部屋にいた。ロベルト・カルロスが大声で叫んだので部屋へかけつけたら、ロナウドが顔面蒼白で、口から泡を吹いていた。みんな、彼が死ぬんじゃないかと思った」
――ロナウドは病院へ担ぎ込まれ、診察と治療を受けます。ザガロ監督はロナウドの起用を一度は断念しましたが、試合開始直前になってロナウドがスタジアムへ到着。ロナウド先発を決断します。
「セレソンのドクターは『身体的には問題ない』という判断。ザガロはそれに従ったわけだけど、非常に難しい決断だったと思う」
――結果的に、セレソンは0-3で完敗。2大会連続優勝を逃しました。
「あの試合で、我々は実力の半分も出せなかった。ロナウドの問題がなければ優勝できた、とは言わないが、あれほど不甲斐ない試合にならなかったのは確かだ」
今明かす「横浜フリューゲルス消滅」の経緯と涙
――この年の10月末「横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併される」というニュースが流れ、日本のフットボール界全体が大騒ぎになります。