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「寝耳に水。悔し涙を流した」“横浜フリューゲルス消滅の舞台ウラ”元ブラジル代表MFサンパイオが激白「奇跡の優勝? 僕はそう思わない」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/07/30 11:01
横浜フリューゲルスなどで名ボランチとして君臨したサンパイオ。あの「クラブ消滅劇と天皇杯優勝」についても語った
「運営は素晴らしかった。リーグのレベルは率直なところ、ブラジルリーグにはまだ及ばないと感じた。しかし、どのチームにも優秀な外国人選手と日本人選手がいたから、どの試合も簡単ではなかった」
――フリューゲルスの第一印象は?
「ヤマグチ(山口素弘)がチームの中心で、マエゾノ(前園真聖)、ハト(波戸康広)ら優秀な若手がおり、将来が楽しみなチームだと思った」
雪はめったに降りませんと言ってたのに(笑)
――日本の生活への適応はスムーズでしたか?
「ブラジルと日本は季節が真逆で、1月、真夏のブラジルから真冬の日本へ到着した。クラブ関係者は『関東では雪は滅多に降りません』と言っていたが、着いてすぐに雪が降り、妻は『話が違う』と怒っていた(笑)。でも、クラブの通訳が良く面倒をみてくれたので、快適に暮らせた。
日本社会は秩序だっていて、すべてが予定通りに進む。非常に安全で、人々が親切で暖かい。僕も家族も、すぐに日本が大好きになった」
――1995年、チームは14チーム中13位に沈みました。
「最大の理由は、我々ブラジル人トリオが日本人のメンタリティーを理解していなかったことだろうね。たとえば、ブラジルでは試合中に誰かがミスしたら『何をやってるんだ』と怒鳴りつけ、言われた方も『お前こそしっかりやれ』などと言い返すのが当たり前。でも、日本人選手の多くは叱られると委縮し、自信を失ってさらにミスをする。練習では素晴らしいプレーができるのに試合ではサッパリ、という選手も少なくなかった」
――日本人は繊細ですからね。
「ある試合で、優秀な若手FWが決定機を何度も外し、チームが敗れた。試合後のロッカールームでエバイールがその選手に食ってかかり、皆で必死に止めたことがある。
でも我々は次第に、日本人選手にそういう態度を取ってはダメなのだということがわかってきた」
Jリーグ組は日本人選手を熟知していたから
――あなたは、日本へ渡ってからもセレソンに招集され続け、この年8月、東京で行なわれた日本代表との試合に出場してセレソン初ゴールをあげます(注:ブラジルが5-1で大勝)。
「ゴール前の空いたスペースへ走り込み、レオナルドからのパスを蹴り込んだ。忘れられないゴールになった」
――あの試合で、セレソンの先発メンバーのうち実に7人が Jリーグのクラブ在籍でした。GKジウマール(セレッソ大阪)、右SBジョルジーニョ(鹿島アントラーズ)、CBロナウドン(清水エスパルス)、ボランチのドゥンガ(ジュビロ磐田)とあなた、MFのレオナルド(鹿島)とジーニョ(フリューゲルス)です」