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丸山桂里奈と電撃婚 56歳本並健治って、どんなサッカー選手だった? 腎臓破裂でも“プレー続行”伝説
posted2020/09/09 18:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
J.LEAGUE
今話題のあの人は、実はけっこうスゴい選手だったのである。
元なでしこジャパンの丸山桂里奈と電撃婚した本並健治だ。
時計の針を1993年へ巻き戻す。5月15日に開幕したJリーグに、日本中が沸き上がっていた。プロ化以前の日本サッカーリーグ当時に松下電器入りした本並は、ガンバ大阪となったチームの正GKとして、熱狂が渦巻くピッチに立った。
2020年現在のガンバは、攻撃的なサッカーを連想させるだろう。05年のJ1リーグ初制覇以降は数多くのトロフィーをショーケースに飾っているが、開幕当初はリーグ下位が定位置だった。
93年の第1ステージは8位、第2ステージは6位、翌94年は第1、第2ステージともに10位である。93年は10チームで、94年は12チームでリーグ戦が行なわれていたから、優勝争いなどまるで関係なしだ。同じく下位に低迷する浦和レッズや名古屋グランパスとともに、“Jリーグのお荷物”と呼ばれることもあった。
勝つことより負けることの多いチームで、本並は文字どおり最後の砦だった。シュートへの反応がシャープで、とにかく止めて、止めて、止めまくっていた。
茶色く染められた髪の毛の色で「本並」という名前を「ほんなみ」と正しく記憶したファンは、華麗に身を躍らせるプレーに日本サッカーがプロ化したことを実感したものである。
ガンバのシュートは4本で、相手チームのシュートが15本の試合を、1対0で勝たせてしまうこともあった。本並(とボランチのフラビオ)がいなかったら、ガンバの守備は悲劇的なものとなっていたに違いない。
腎臓破裂でも“プレー続行”伝説
大変なケガも経験している。93年7月のサンフレッチェ広島戦で、相手選手と激突して腎臓破裂の重傷を負ってしまう。接触してしばらくは苦痛に表情を歪めたが、そのまま交代もせずにプレーを続けたのには驚かされた。
当時のJリーグには引分けがなく、同点の場合は延長サドンデスに突入し、なおもスコアが動かなければPK戦で勝敗を決していた。この試合は3対3の同点で延長戦へ突入したのだが、直後に広島が得点をあげて終了している。チームは負けてしまったものの、本並にはこれが幸いだった。腎臓破裂は一刻の猶予もなく、延長戦が最後まで行なわれていたら生命の危機に晒されていたからだった。
翌年に戦列へ戻ってきた本並は、笑いながらこう話した。