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20歳の捕手が出したサインに工藤公康の顔色が変わって…「お手本に」と求められダイエー入りした名捕手が振り返る「若き日の城島健司のこと」
posted2023/06/02 11:03
text by
井上眞(日刊スポーツ)Makoto Inoue
photograph by
Koji Asakura
「俺のことはいいよ」
それがこの人の口癖だ。謙虚で誠実。大袈裟なことは決して口にせず、必要以上に自分以外のことには触れない。
田村藤夫、63歳。1978年に18歳で日本ハムに入団し、2019年に二軍コーチだった中日を退団するまで実に42年間、プロ野球の世界に身を置き続けた。捕手として3球団を渡り歩き、最初のFAでは巨人の長嶋茂雄監督から移籍を誘われた。その後、ダイエー(当時)の王貞治監督からも声をかけられて移籍。引退後は中日の落合博満監督に求められバッテリーコーチに就任するなど、指導者としても4球団で腕を振るった。
名将たちに求められ続けてきた華々しいキャリアに見えるが、いつもこんな言葉が返ってくる。
「そういうことは、自分から話すことじゃないだろ? 声をかけていただいて、お断りしたものもある。相手があること。むやみに話せないだろ」
王監督から突然の直電
実は、長嶋監督からも、王監督からも直接電話を受け、請われたのだという。
「王さんの時は外出先だった。知らない番号からかかってきて、出たら『王貞治です』って言われて……」
1996年初冬、当時ロッテ在籍の田村は夕方に最寄り駅に着いた。免許はまだなく電車通勤。携帯電話から低く響く「王貞治です」の声に、足が止まる。通勤帰りの乗客が追い越していく。立ち尽くしたまま動けなかった。