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「ちょっと病みつきになる」福田正博が惚れた最高のパサーはラモスでも小野でもなく…森保に慰められたJ2降格、引退を決めたオフトの言葉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/04/24 11:02
Jリーグ通算228ゴールを決めた福田正博が「病みつきになる」と評したパサーとは?
J2に降格した浦和は翌年、シーズン途中での監督交代を経ながらも上位争いを繰り広げた。サガン鳥栖との最終節で土橋正樹がVゴールを決め、勝ち点1差で大分トリニータを振り切り、J1復帰を果たす。
「1年でJ1に戻れなければ引退すると決めていたんだ。だから、土橋にはすごく感謝しているよ。02年シーズンまでプレーしたから、あのゴールのおかげで2年間も長く現役を続けられたわけだし」
こうしてキャリアを振り返るとき、福田が強く思うのは「1」の重みである。
93年アメリカW杯アジア最終予選では2位の韓国と勝ち点で並び、首位のサウジアラビアとは勝ち点差1だった。99年は得失点差1でJ2に降格し、2000年は勝ち点差1でJ1に復帰した。
「よく1点の重みって言うけれど、俺ほどその重みを実感している選手もいないんじゃないかな。本当に天国と地獄のような気分だから。0-4で負けている試合で焼け石に水のような1点も、泥臭く引き分けて得た勝ち点1も、その1点がシーズン終盤で自分たちを救うことになるかもしれないわけだ。俺も散々、PKでの得点が多いってイジられてきたけど、PKだろうとなんだろうと、1点をバカにしちゃいけないよね」
オフトが渡した引導「お前は浦和をどうしたいんだ」
現役最後のシーズンとなる02年、福田のポジションはFWではなかった。
この年に就任した日本代表時代の恩師、ハンス・オフトによって中盤にコンバートされ、35歳にして新境地を開拓する。
「最初はFWで起用されたけど、スピードは衰えていたから、オフトが俺の活かし方をいろいろ考えてくれてね。最終的にボランチをやるんだけど、その前に3バックの一角もやったんだ。秋頃だったかな、オフトと去就について話す機会があって、俺はまだまだやれるような気持ちになっていたから、『もうちょっと続けたい』と言ったら、オフトは慌ててた(笑)」
そこでオフトは福田に「おまえは浦和というクラブをどうしたいんだ」と尋ねてきた。
「『優勝するようなチームにしたいんだろう?』って。それには変えなきゃいけないポジションがふたつあると。おまえと井原(正巳)のポジションだと。今年以上に強いチームにするには、今出ている選手が下がって、それ以上の選手を補強することだ、って言ったんだ」
きみが望む結果を得るためには、きみが引くことだ――。
その言葉は、福田の心にスッと染み込んだ。
「そういう言い回しをされて、納得できたところがあった。オフトと俺の関係性だから受け入れられた部分もあるんだけど、うまく引かせてくれたなって。プロ選手って引き際が重要だと思うんだけど、なかなか引けないんだよな。スパッと辞められる状況を作ってくれたという意味で、オフトには感謝している」
こうして“ミスター・レッズ”は02年シーズン限りでスパイクを脱いだ。
「この時点では浦和レッズで指導者、監督になることを思い描いていたよ」
だが、その思いは3年間のコーチ生活を経て、変化していくことになる。
(#4へつづく)